政治と人間性

(立正安国論講義220頁~221頁)
民衆の心の奥底は、戦争なき平和な社会を願っているのである。今こそ、すべてのものに優先して、人間の生存権、人間性の尊重に立脚しなくてはならぬ。されば、おのれの私利私欲にふけることをやめ、民衆の幸福を第一義に考えるべきである。ここに仏法の慈悲の精神が、政治に反映されねばならぬゆえんがあるのである。仏法は、誰一人も苦しめない、またあらゆる人に、真に喜びと楽しみと希望とを与えていくことが、その根本精神である。これを「慈悲」というのである。
仏法でいう「慈悲」とは、世間の人が「愛」と混同して考えているような観念的なものではない。そのようなもので人を救えるわけがないし、仏が一生かけて説くはずがない。それは事実のうえに衆生の苦を救い、楽を与えることであり、人々の心に巣くう悪を断ち、根底より救い切る厳愛の行為である。「慈悲」は愛よりも、はるかに深く強い。
「愛」は、常に「憎」と相対する概念であり、「慈悲」は絶対性をもつ最高の生命の発露である。無理に修行して得るものではなく、行動のなかに、心の働きのなかに、無意識に自然ににじみ出てくるものである。「愛」の理想を説きながら、激しい増悪の葛藤を現実生活で行っている二重人格は、キリスト教徒によく見られるところであり、これとは根本的に異なるものである。「親の子を思う、慈悲に似たり」とあるように、親の子を思う情すら、遠く慈悲にはおよばないのである。一切衆生を救う、崇高な仏の振舞いこそ慈悲であり、いっさいの根本に「慈悲」の大精神をを置いてこそ、民衆を幸福にしきることができるのである。民衆の苦悩を解決し、福祉生活を与えるのが、政治の目的である。ゆえに、政治に最も必要なのは慈悲である、と断言してはばからないものである。


(立正安国論講義974頁)
政治の良し悪しほど民衆の幸・不幸を左右するものはない。これまで、さまざまに論じてきたように、悪政が災害を増長して、多くの民衆を飢餓や病苦に追いやることもある。また、単に天災による被害が悪政のために増大するような場合のみでなく、現代における公害問題のごとく、人間の営みそのものが災害をもたらすこともある。
 あるいは、政治の偏った政策が、犠牲を生み、多くの人々を困窮のどん底に突き落とすことも珍しくない。しかし、最も直接的に民衆を苦しめる政治悪は戦争である戦争とは、どんなに美化しようと、政府の名で公認された大量殺人にほかならない
2017年06月28日