老人医療費無料化(2)


副題 「YKKと言われた時代」

田中角栄が東京地検の尋問を受けていた時、田中派を裏切った竹下登が自民党の最大派閥となりました。その様な中で加藤紘一が、小さな派閥であろうと影響力を強めようとして、山崎拓を誘って2つの小さな派閥を作りましたが、その後、山崎拓が小泉純一郎を誘って、3つの連合派閥となり、竹下派に対抗しようとしていました。それがマスコミの間で、3人の頭文字を合わせて「YKK」と呼ばれていました。

実質上は加藤紘一がキャスティングボートを握っていた派閥でしたが、小渕総理の亡き後、小泉純一郎が国民に人気のあった田中真紀子さんを利用して、自民党総裁選に名乗りを上げ、見事に自民党総裁となり、内閣総理大臣を我が物にしました。

「日本の政治を悪く(従属)しているのは日米合同会議が最大の悪の巣である」と確信していた田中真紀子さんは、外務大臣になって外務省改革を望んでいたと思われます。その後、外務大臣になった田中真紀子さんは、外務省官僚に日米合同会議の廃止を指示しています。しかし、外務省官僚は一向に従おうとしませんでした。法律上からいえば、指示に従わない外務省の官僚は、大臣の権限でいくらでも解雇出来るのですが、小泉純一郎が、その権限を使う事を許さなかったのです。そればかりか「田中真紀子が外務省官僚を私用に使っているのだ」というデマをマスコミに流し、田中真紀子さんの評判を弱めようとしました。そして評判が充分弱まった頃を見計らって、外務大臣の職を解いています。この時、田中真紀子さんは「私が前に進もうとすると誰かがスカートを踏み付けて前へ進めないようにしている」と言って外務大臣を辞めたのです。

小泉純一郎は、田中真紀子さんを利用するだけ利用して、邪魔になったら捨て去るという非情な人間です。小泉純一郎が自民党総裁として名乗りを上げた時、売国奴の小泉純也(平和を崩壊させる最も恐るべき敵は、社会心理学者である(12)をお読み下さい)の子供なのに、田中真紀子さんが何故、支援しているのか不思議でなりませんでした。

小泉純一郎が、アメリカ軍支援の為の「イラク特措法」を提出した時、この法の成立に、防衛庁のトップ官僚だった柳澤協二をはじめ、加藤紘一や宮澤喜一等が難色を示していたのに対し、公明党の浜四津委員長はこの法案をあっさりと認めてしまいました。この時、創価学会員には国際貢献であるという詭弁(憲法9条を破る軍事的支援の法律なのに)を使っています。

以前、TVタックルという番組の中で、浜田幸一(指定暴力団松葉会の組長とサカズキを交わした仲になっていた事が知られている国会議員です)の語った言葉が強く印象に残っています。浜田幸一が「もう時効だから喋る」と言った後に、「内閣官房機密費を封筒にこっそり詰め込んで、公明党に持って行ったら『有難う御座います』と言って、ニコニコと受け取りやがった。何が平和の党だ、何が福祉の党だ、ふざけんじゃねいぜ、バカヤロー」と言っていた事です。この当時の公明党は、憲法違反であるイラク特措法に反対していたのに、その後一変して「イラク特措法は国際貢献だ」という詭弁を使ってイラク特措法を認めてしまっています。

国会開催中に加藤紘一の事務所兼自宅が暴力団によって火をつけられた事件がありました。その時、高市早苗が加藤紘一に近付き「加藤さん、あなたの自宅が火をつけられて燃えていますよ」と言って、腹を抱えて笑っていたと、その時の状況を山崎拓さんが後に話していたのですが、山崎氏の話によればイラク特措法の返答を示さないからその様な目にあっているのだろうという話でした。その後まもなく、加藤紘一氏は原因は分かりませんが亡くなっています。

*政治結社(松葉会)は影のフィクサーの児玉誉士夫が1953年に立ち上げた暴力集団です。

(つづく)












2025年09月06日