創価学会がアメリカ軍学の影響を受け始めた頃(14)


副題 「GHQの日本の化学力の分析」

中曽根康弘は、第71代総理大臣になった当初「新エネルギー10ヵ年計画」の花火を打ち上げ、様々な新エネルギーの開発を研究していました。最初は風力発電が最も有望視されていましたが、日本にはそれほど風力を生み出す場所が無く断念しています。また、火山国日本であれば地熱発電が望まれていましたが、様々な有毒物質も生み出してしまう為に諦めています。その他では、太陽光発電の研究が進められていましたが、当時作られた太陽光パネルでは、十分な電力を得る事が出来ずに諦めています。ただ一つ、周りを海で取り囲まれた波力発電は、生産コストが見合う為に実用化間近と騒がれていました。しかし中曽根康弘は、「GHQの日本の化学力の分析の結果」を読んだ後、『人間は一生勉強だ』という言葉を漏らし、原子力発電へとエネルギー計画を移しています。

それまで東海村第一原発の研究開発を進めていた湯川秀樹博士は「原子力発電によって生まれる放射性物質が研究者やその周辺に及ぼす危険性が甚大である」という事から原子力発電を強く反対していました。しかし中曽根康弘は、夢の「プルサーマル計画(核燃料棒を永久的に使用出来る夢の発電)」を旗頭に、湯川を解雇した後に無理矢理、福島第一原発の建設を始めました。建設を任せたのはアメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)です。当初、福島第一原発に選ばれた敷地は高所にありましたが、GE社の設計では海面スレスレの位置にしか建設が出来ないという事になって、GE社の設計基準に合うように高い場所を削り取り、安価な値段で福島第一原発を稼働させています。この様な事が原因で、東北地震で起きた津波によって福島第一原発はメルトダウンしています。日本の原発事故は、全て中曽根康弘の誤った政略によって起こされてしまったのです。

日本がポツダム宣言を受け入れた後に日本に乗り込んできたGHQは、当時の日本の化学力に圧倒されて、戦後数十年間は日本政府に武器の開発はしないようにと約束させています。化学力は軍需ではなく民需にするように日本の研究者にもキツく申し出をしています。

アメリカはマンハッタン計画で原爆を造っていましたが、日本の理想科学研究所は既に原爆を造れる状態になっていました。そしてその原爆の大きさは、アメリカのB29に積み込むような大型の核爆弾ではなく、通常の戦闘機でも抱かせて爆撃投下出来る核弾頭が、論理上完成されていたのです。しかし日本にはウラン鉱脈が無く、肝心なプルトニウムが手に入りません。その為、伊号潜水艦に特別任務を与え、日米開戦前にドイツに向かわせていました。太平洋、インド洋、西太平洋の長い航海をアメリカ軍に気付かれずに敗戦前のドイツよりプルトニウムを受け取りました。そして帰港途中に日本が敗戦になってしまい、アメリカより先に核爆弾を造る事がかないませんでした。

その他、航空機においても対B29用に造られた雷電戦闘機は、上空一万㍍以上まで飛び上がれる性能の戦闘機です。プロペラ機としては当時世界最速の540㎞までの速度を出していました。生産数は数十機程度ですが、実戦配備はされていたものの、優秀なパイロットを特攻に使った為に、その効力は望む事もなくB29の横暴を許してしまったのです。

また対B29用の戦闘機としてマッハ音速に近い速度で飛行できるジェット戦闘機が開発されていました。日本の石油燃料が乏しい中、茨城1号という大きなサツマイモの改良に成功し、その芋を使ってジェット戦闘機を飛ばすというバイオ燃料の開発まで済ませていたのです。

中曽根康弘の新エネルギー10ヵ年計画の最後の頃に登場してきた「水を電気分解して水素を発生して、その力を応用した水素発電」は、自動車メーカーのトヨタや住宅メーカのミサワホームが「太陽光パネルを使って、わずかの電力で電気分解エネルギーを得る事によって実現可能なエネルギーになるのではないか」というコメントがありましたが、その後の研究開発はどの様に進んでいるかは情報が無い為に私には分かりません。もし、この様なエネルギーがコストに見合う発電量が得られるのであれば、無公害の新エネルギーとなるのではないでしょうか。排出物は酸素と水だけです。まさに夢の無公害エネルギーではありませんか。









2025年08月03日