創価学会がアメリカ軍学の影響を受け始めた頃(1)


創価学会が第一の鐘を鳴らして仏法拡大運動が自由に出来たのは、エドウィン・ライシャワーが駐日大使として赴任していたからです。

エドウィン・ライシャワーは、戦前の日本国民を知っていた人で、日本生まれの日本で育った人でした。彼が駐日大使を辞めて去る時、彼の家の乳母(お手伝いさん)の背中で聞いていたという唄を歌っていました。その唄の内容は「かかほし、かかほし、おかかほし、おかかをもろうてなににする、ひるはままたきせんたくに、よるはだかえりゃこができる、おとこのこならばとりあげろ、おんなのこならおっちゃぶせ」(この唄は終戦頃まで茨城県つくば市谷田部地方で歌われていた子供を間引きしていた唄です)という日本の貧困層を唄った歌です。

私は茨城県利根町にある徳満寺に奉納されていた、板に書かれた絵馬を見た事が有ります。その内容は、母親が生まれたばかりの赤子を絞め殺しているという内容でした。障子に映った影が、母親が鬼となり吾が子を殺すという内容だったのを覚えています。

エドウィン・ライシャワーは人々の貧しさを知っていたからこそ、占領軍のGHQを通して、農地解放や財閥解体をしたのかも知れません。任務完了後エドウィン・ライシャワーは日本を去りました。

その後に就任してきた大使は、日本を植民地にするべきだというハリー・S・トルーマン大統領の考えを受け継ぎ、日米合同会議(日本の官僚をアメリカに従う者達に教育する事が目的)をアメリカ軍基地内に設けています。現在では、ニュー山王ホテルとして東京都内に現存しています(名目は在日米軍の基地運営がスムーズにいくように、月に2回ほど行われ続けている会議です)。アメリカは、東京裁判を通して日本の政治が、軍部や貴族委員ではなく、官僚によって日本の政策が決められていたのを知っていたのです。

当時の池田先生は、中国共産党を認めるべきだとして、日中国交正常化提言(第11回学生部総会)で講演しています。そして公明党を先遣として中国の周恩来首相と会い、更にはイワン・イワノビッチ・コワレンコ(ソ連共産党中央委員会国際部課長で、特に極東を担当していた人でした)の誘いを受けて、ソビエトのコスイギン首相とも会談をしています。その後、田中角栄との会談も実現させています。

この時の中国は共産主義国で、ソビエトは社会主義国です。アメリカの軍学から判断すれば自由主義を標榜するアメリカの敵対国です。

この頃からアメリカの軍学は、創価学会第三代会長の池田先生の行動を、苦々しく思っていたのでしょうが、武力を用いて第三代会長の職を引きずり下ろすわけにもいかず、憲法学者の藤原弘達を利用する事により、その地位を危うくさせようと、言論出版妨害問題を騒ぎ立てたのでしょうか。

創価学会の理事であった北条や秋谷が、組織信仰を利用して「正本堂は国立戒壇でなければ駄目である」との考えを会員の末端にまで広めていたのです。(大石寺の宗門が願っていた正本堂の国立戒壇)

私の地区組織を任されていた壮年部長や婦人部長も、異口同音に「公明党の国会の進出は、国立戒壇が目的」だと言い、末端にまで組織信仰の指導が行き届いていました。

この様な時に、藤原弘達の書いた書籍『創価学会を斬る』の中で「正本堂建設をするのは国立戒壇だ」と思えたのは当然の事でしょう。

この書籍の発刊に慌てふためいたのは秋谷栄之助でした。池田先生のご指導の「舎衛の三億」という考え方に逆らい、国家の税金によって正本堂を建立するという考え方を、組織を通じて指導していたのですから言い逃れは出来ません。

徳川時代の大石寺は、幕府の援護を受けて寺社田(武士と同じように農家から税金を取れる仕組み)を持つ寺院であり、なおかつ裕福な財源を元に金融業(金貸し)をして裕福な寺でした。しかし、明治以降の伊藤博文が打ち立てた、廃仏毀釈政策によって田畑は奪われ、一気に貧乏寺になってしまい、戦後まで続いていたので、国家に対する怨みは濃厚だったのです。この事が宗門の中では正本堂建立は国立戒壇でなければ駄目だという考え方に定着していました。その様な宗門を気遣った秋谷栄之助が池田先生の教えに逆らった行動だったのです。

藤原弘達は、大人気の作家として取りあげられていました。TVのワイドショーの中で「私の書籍を妨害しているのは創価学会である」と強く主張していました。そして司会者に「その証拠は何処にあるのですか」と聞かれた時、答えたのは「秋谷栄之助と顧問弁護士の浜四津女使との会話を、隠し持っていたマイクで全て録音してある」と言っていました。司会者が「その録音はいつ聞かせてくれるのですか」と質問していましたが、藤原弘達は「そのうち時期が来たら全てを公開する」と言っていました。しかし、亡くなった後もそのテープは公開された事はありません。

*小説人間革命の映画では俳優の渡哲也さんが、裏家業の児玉誉士夫の役を演じています。

*言論出版妨害問題の事件をきっかけとして創価学会の幹部の中にCIAのエージェント(工作員)が誕生したのかも知れないと私は想像しています。CIAでは他の国へ、エージェントを造り上げた後その配下に3人のエージェントを育てなければならないという決まりがあったというのです。(私はハドソン研究レポートでこの事を学びました)

この頃の国会では、池田大作を証人喚問に立たせるべきだと共産党が騒いでいました。秋谷栄之助にとっては、藤原弘達が持っている録音テープを公開されたくない為、裏家業の児玉誉士夫(かねてから戸田先生の紙購入の時に世話になっていた)に頼み、裏家業からの脅しをかけて、テープの公開を諦めさせたのではないかと私は考えています。

児玉誉士夫や正力松太郎は、戦後日本のCIAのエージェントとして名前があがっていた人たちです。

戦後の日本社会と在日米軍との関係を詳しく知りたい方は、元共同通信社記者で元早稲田大学客員教授の春名幹男さんが、アメリカの公開公文書を元に様々な本を出版されていますので、そちらよりお調べください。

明治以降、宗門の間では「正本堂の建設は国立戒壇でなければ駄目だ」という考え方が根付いていました。その事を説明しているのが、第33回本部総会で池田先生が講演された中にあります。
(池田先生ご指導の学習(6)人間勝利の大文化めざして昭和45年5月3日第33回本部総会東京・日大講堂)をお読み下さい。国立戒壇の考え方は宗門側にあった事を明かしています。

この頃、進められていた正本堂の建立は、私たち創価学会の会員が、日銭をコツコツ貯めた心よりのご供養で建てられたものです。まさに池田先生の「舎衛の三億」がそのまま実行されて建立されていたのです。国家の税金は1円も使っていません。

(つづく)









2025年04月11日