仏法民主主義

(立正安国論講義999頁~1000頁より抜粋)
「法妙なるが故に人貴し」とは、人間生命の尊厳について、その本源を明らかにされている。すなわち、人間の生命が尊いとは、誰でも口にすることである。だが、現実に、世の中には、尊い人間もいれば、害になる人間もいる。また、その程度も、千差万別である。これが現実とすれば、単に生命の尊厳を叫んでみても、それは空理空論である。
それでは、何をもって尊しとするか。その人の持っている法、哲学の高低浅深と、それがどのように言動に反映されるかによって、その人の尊厳が決まるのである。極端な例であるが、ナチリズムのごとく、ドイツ民族を至高とし、他民族は支配されるべき奴隷であり、ユダヤ民族は抹殺すべき民族であるという思想を持った人がいるとする。そしてその思想を実践して、他民族を征服し、ユダヤ人を殺し始めたとすれば、冷静な人なら誰しも、この殺人主義者を尊厳することはできないであろう。
逆に、生命を浄化し、宿命を転換し、生命力を旺盛にする力ある哲学を持ち、自己を人間革命するとともに、人々にもそれを教えていく人は、最高に尊厳な人といわなければならない。しかして、その哲学を徹底して実践していく人が最高の中の最高であり、自己の弱さに負け、徹底しきれない度合いに応じて尊厳の程度も決まってくるのである。この哲学こそ日蓮大聖人の生命哲学である。すなわち、本地難思の南無妙法蓮華経の大法である。
日蓮大聖人は法に即して人、人に即して法、人法一箇(にんぽういっか)の御本仏であられる。われらは大聖人の教えどおり、人法一箇の大御本尊に題目を唱え、境智冥合することによって、同じく生命を浄化し、宿命転換し、力強い生命力を湧現して生活を楽しんでいくことができるのである。
このような、生命の奥底から確立し、現実の生活に実証できる生命の尊厳は、大聖人の仏法による以外に絶対にない。このゆえに、仏法民主主義こそ、人類が少なくても三千年来、求め求めてきた真実の民主主義なりと断言してやまない。
2017年03月17日