池田先生のスピーチ(音声)日中国交正常化提言(第11回学生部総会 ) 日中国交正常化提言 第11回学生部総会 昭和43年9月8日 東京・日大講堂 ◇戦う学生部に栄光あれ 諸君の汗と涙と、そして友情で成し遂げた輝く学生部の二十三万名の達成、まことにおめでとうございました。(大拍手) 本日、九月八日は、忘れもしない昭和三十二年、横浜の三ツ沢競技場で恩師戸田先生が、あの有名な原水爆に対する声明を発表した、歴史的な記念の日であります。私は、英知と情熱あふるる、妙法の自由と平和の戦士たる諸君とともに、この恩師の遺訓(いくん)を、再び胸に刻んで前進したい。 「世界の民衆は生存の権利をもっている。その権利をおびやかす者はこれ魔ものであり、サタンであり、怪物である」と喝破(かっぱ)され、「たとえある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、それを使用した者は悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命である」と叫ばれたのであります。 利害と人気取りと口先だけの平和論を叫ぶ、小利口(こりこう)な指導者や政治家は日本にもたくさん動いている。そのなかにあって、真実の世界平和の大宣言ともいうべきこの声明は、創価学会員の永遠の根本精神であり、世界人類への不滅の指針なのであります。(大拍手) 私は、諸君とともに、全生命、全生涯をかけて、この恩師の精神を訴え続け、この世界から「悲惨」の二字をなくすまで、横暴と増上慢の権力者達と断固戦い抜いていく決意でありますので、今後とも宜しくお願い致します。(大拍手) ◆「教授よ、年をとったのではないか」 過日、私は、ある学者と会って色々と話をする機会がありました。その人は、ちょうど海外から帰って来たばかりで、パリの学生運動を目の前に見てきて様々のなまなましい体験を聞かせてくれました。そのなかで特に興味深く感じたのは、有名なパリ大学の学生達が掲げていたという三つのスローガンであります。 その第一に「教授よ、年をとったのではないか」第二に「学説が役に立たなくなったのではないか」第三に「教授よ、信念がないのではないか」というのであります。 これらの三項目は、なにもパリ大学だけの問題ではないと私は思う。まるで我が国の大学の実態をいっているように聞こえるのであります。 教授の老齢化--これは、具体的には、現在の年功序列的なやり方に責任があるともいえましょう。だがもう一歩すすんでいえば、この第一の「教授よ、年をとったのではないか」ということは、何も肉体年齢ではなくして精神年齢こそ問題だといえる。学者として、教育者として、常に若々しい情熱に燃えて研究に、そして教育に取り組んでいる教授が、どれほどおられるであろうか。本日ご来賓のなかに、もし教授の方がおられましたならば、今日だけ勘弁して頂きたいと思います。(笑い) 一般論として私の考えを申し述べさせて頂きます。 おそらく、学生の責めていることも、そこにあるのではないかと思う。やはり問題は、年功序列的な文部行政のあり方であり、より本質的には、教授達の情熱の欠如と考えることが、妥当でありましょう。とすれば、それは、我が国についても、そのまま該当し、世界的に共通の重大問題の一つといえないでしょうか。第二、第三のスローガンも、結局はこの第一のスローガンのなかに含まれてしまいます。いずれにしても、こうした教授のあり方が、若い学生達との間に、越えがたい距離感と、隔絶感を生み出していることは明らかであります。 学生運動の直接的な原因、スローガンは、国より大学によってそれぞれ違いはありましょう。特に我が国の学生運動が、政治に偏向(へんこう)しているとも、よく指摘されておる通りであります。だが、そうした原因、スローガンは、近因であり動機であって、根本的には、学生と教授との隔絶感、すなわち世代の断絶に本当の原因がある。この問題に真剣に取り組み、教授と学生との間の溝を埋めない限り、決して現今の学生運動、いわゆる大学の危機を解決することは出来ないと私は思いますが、諸君はどうでありましょうか。(大拍手) 現在もなお、あちこちの大学で様々な学生運動が起こりつつありますが、私が憂えるのは、これらの運動をただ上から圧力をかけて弾圧しようとする現状であります。 物質的にも人間的にも大学教育のおかれている環境を、抜本的に改善し、学生達が、自由に、伸びのびと勉学に打ち込める理想的な方向へと、一歩一歩、大学再建を図るべきであると私は思うのであります。更にまた、時代を変えていく若き世代の代表として、私は諸君が大きく成長し、安定した理想的な社会を建設してくれる日の、一日も早からんことを心から期待するものであります。(大拍手) ◆学会、公明党の若々しい力 またその学者は、大学教育について次のような事をいっておりました。それは、現代は自然科学はもとより、あらゆる学問が日に日に著しい発展を遂げているので、大学で学んだことがすぐに役に立たなくなってしまう。大学でたくわえたものを活用していけるのは、せいぜい社会に出た最初の十年位である。たいていの人はそれ以降は惰性で仕事をしているにすぎない。このときに惰性に陥(おちい)らず、常に意欲的に進んでいけるためには、どうしても深い思想・哲学、またそれに対する信念といったものが必要だともいっておりました。 私はまことにその通りだと思う。昨年の学生部総会において、私は知識と智恵の問題について話をしましたが、どんなに知識を身につけようと、根本の智恵がなくては知識を生かしていくことは出来ない。また、知識というものは、学問の進歩にしたがってどんどん追加されてくるし、古いものは役に立たなくなってしまう。 だが智恵は決して古くなることはない。その智恵とは、思想・哲学を根幹とし、信念から湧きいずるものであります。よって現代、そして未来において、最も深い哲学、最も偉大なる矛盾のない思想は、結論していえば、日蓮大聖人の大生命哲学であり、この思想・哲学をもった学生部の諸君こそ、永久に時代をリードしていく真の知識人であり、真実の新しき世紀の指導者であると、私は確信したのであります。(大拍手) 更にもう一点、その人は、学生又は大学を卒業したばかりの人達と、社会のいわゆる指導階級の人達との年齢差について、面白い話をしておりました。その人はアメリカの例を引いて、かつてのアメリカは、その年齢差が二十位で、だいたい理想的であった。ところが現在では、四十歳ぐらいになっているという。 この例は、なにもアメリカに限らず、ソ連や中国もそうであるし、西欧諸国もしかりであります。そして、我が国においても全く同じであります。党首をみても、自民党・社会・民社も六十代、共産党にいたっては七十代。しかるに公明党の国会議員は平均年齢四十三歳、学会を動かしている主力メンバーは三十七、八歳であります。 この実相をとってみても、我が学会、また公明党が、どれほど若々しく、未来性を秘めているかは明瞭であると思う。私は常に青年を最も大事にしておりますし、その若々しい力に最大の期待をかけております。この精神は、未来も永久に変わらない学会の根本精神であり、学会の智恵であることを明確に宣言しておきたいのであります。(大拍手) ともあれ、これからは諸君達の時代であります。この二十世紀後半から二十一世紀初めにかけてのこの時代を、諸君達は思う存分に人生を乱舞し、広宣流布の黄金時代を築いていって頂きたい。それが学生部諸君の今世にもって生まれた宿願であり、地涌の菩薩としての大使命であるということを強く訴えておきたいのであります。(大拍手) ◆大国は他国の民衆を犠牲にするな 次に、話は変わりますが、今、全世界の注目の的になっている、ソ連並びに東欧五か国のチェコに対する軍事介入の問題について申し上げたい。これは、アジアにおけるアメリカのベトナム戦争と同じく、小国に対する大国の力の抑圧としてとらえることが出来ると思う。ともに一九三〇年代に起こったナチス・ドイツの武力侵略と同じ系列に立つものであるといっていい。 かつて恩師は、次のように叫んだのである。 「社会の繁栄は、ただ一社会の繁栄であってはならない。全世界が一つの社会となって、全世界の民衆が、そのまま社会の繁栄を満喫しなければならない。それが王法と仏法の冥合である。日本民衆の幸福のために他の民衆を犠牲にしてはならないし、アメリカ民衆の幸福のために、日本民衆を犠牲にしてはならない。共産主義の一指導者の幸福のために、他国の民衆が犠牲になってはならない」と。 まさにこの恩師の叫びは今日、最も重要な国際社会への理念とすべきであると思う。すなわち、自国のために他国を犠牲にすることは絶対に許されない。いかなる小国といえども、大国の利益や権力欲のために断じて犠牲にされてはならない。否、そのようなことは、絶対にさせてはならないというのが、私どもの王仏冥合の理念なのであります。(大拍手) かつてヨーロッパに、またアジアに吹きまくった、あのファシズムの悪夢から二十数年たった現在、なお人類がこのような悲惨な現実を目前にしなければならないということは、全く残念でならない。だが、大きい目でこの現代世界の動向を見るとき、こうした大国主義・権威主義に反抗して、小国の自主独立、ひいては個人個人の人間性の尊厳を叫ぶ声は、もはや時代の趨勢(すうせい)となってきておるのであります。 パリをはじめとする世界的な学生運動も、古き権威に対する新しき世代の反抗でありました。中国の文化大革命すら、これもある意味では、機構・制度・技術に対する人間の挑戦だともいわれております。このたびのチェコの問題にせよ、ベトナム問題にせよ、いずれもそうした古い権力主義にしがみつく大国が、時代の流れに逆らって歴史の逆行を試みたともいえるでありましょう。 ソ連は社会主義を看板に人間性を抑圧し、アメリカは自由主義の旗を掲げて生命の尊厳を蹂躪(じゅうりん)している。アメリカにせよ、ソ連にせよ、彼らがいかなる大義名分を掲げようと、武力に訴え、暴力によって一国の自主独立、人間性の尊厳を踏みにじること自体、それ自体それは悪魔の所行であり、断固、排斥(はいせき)されるべきであると私は強く訴えておきたいのであります。(大拍手) 先日、ソ連軍等のチェコ侵略が起こる直前の、朝日新聞でイギリスの歴史家トインビーが書いた文章のなかに、次のような一節がありました。それは「権威主義の権力が、その権威を主張するとき、これは、たいてい統制力を失ったことを権力自体が感じているしるしである」というのであります。まさにその通りでありましょう。 ◆生命の尊厳を知る新しい世紀の夜明け 時代は人間の尊厳を目指して大きく大きく動いております。私は、この時代の潮流の本質を、生命の世紀への黎明(れいめい)としてとらえ、いくつかの機会に申し述べてまいりました。そして、この生命の世紀の輝かしい開幕を決定づける本流こそ、我が創価学会のたくましき前進であり、日蓮大聖人の生命哲学の興隆であると申し上げたいんであります。(大拍手) 今まで、物質文明の進歩に比例して精神文明のはなはだしい遅滞(ちたい)を多くの人々は「オウム」のように繰り返し指摘してきましたが、私はこの点について、決して悲観的に考えてはおりません。ただ現代の指導者達の考えよりも、世界の現実の回転のほうが、はるかに進んでしまっている。指導者達の頑迷(がんめい)さは、それを気付こうともしないところに現代の悲劇の数々が生まれているだけだと私は思っております。 言論の自由のために、膨大(ぼうだい)な武力を目前にして少しもたじろぐことなく、生命を賭(と)して悔いない民衆が世界の各地に散在し、弥漫(びまん)しつつあるという昨今の事実――これは十年前には無いことでありました。人間性が最も大事である、その人間が互いに人間らしくあるための自由と権利、これこそ人間の尊厳に目覚めた人々の、新しい勇気ある戦いではないでしょうか。(大拍手) この新しい突風は東西の両陣営にわたって、いまや地球の全地表に吹き始めていることを、いったい何人の指導者が気づいているでありましょう。生命の尊厳を真に知る私達だけが、その動向を感知し、新しい世紀の夜明けの機運が、すでに熟していることを知るのであります。 狂暴な武力は、所詮、無力と化しつつあります。第三文明の開幕を成すために、我が若き同志が一丸となって先駆者となり、限りなき自負と誇りをもって全世界に年々躍進してまいろうではありませんか。(大拍手) 今日、世界的に人間の尊厳を要求する民衆のいきが、時代の潮流として沸き起こってはいるものの、新しい確固たる思想・理念を民衆は知らない為に、なお古き権力の牙城(がじょう)は牢固(ろうこ)としてそびえ、行く手をさえぎってしまっております。かのフランスの学生・労働者による五月革命も結局、総選挙の結果不発弾に終わってしまった。チェコの自由化も、今度の武力介入で、いかに前途が多難であるかということを、まざまざと感じさせられる。アメリカの北爆(北ベトナム)停止も、パリ会談は相変わらず停滞を続けている。 これらは、いずれも民衆の熱望に対して、古き権力がいかに強いかを物語っております。この牙城を打ち破って、真実の人間性の世界を開くためには、どうしても生命の尊厳を裏づける、確固たる哲学を根底とした、全く新しい第三勢力が、全世界の民衆の力を結集して、台頭しなければならない。 かくして、日蓮大聖人の大生命哲学をもった私どもの実践と闘争が、この既存の権力主義の牙城を、完膚(かんぷ)なきまでに打破し、過去数千年にわたる悪夢の連続の歴史に終止符を打つ、真実の生命の世紀への本流であることを自覚してまいろうではありませんか。(大拍手) ◆中国問題こそ世界平和実現の鍵 ここで私は、中国問題についてふれておきたい。中国問題については、かねてからベトナム戦争が終結すれば、次の焦点は中国であるといわれてきました。しかし、今申し上げたような、ベトナムそしてチェコの情勢から、いま中国問題を論ずるのは時宜(じぎ)を得ていないという人もいるかもしれない。だが、日本の置かれている立ち場からいっても、どうしても早かれ遅かれ、中国問題を避けることは絶対に出来ない。また、我々の世界民族主義の理念のうえからも、どうしてもふれなければならない第一の根本問題なのであります。故に、私はあくまでも、そうした立ち場にある日本人の一人として、また、未来の平和を願う一青年として、諸君とともにこの問題を考えておきたいのであります。 いうまでもなく、中国問題は現在の世界情勢において、平和実現への進路のうえで非常に重大な隘路(あいろ)になっております。第二次大戦後、今日にいたる二十数年間の歴史をみても、東西二大陣営が、軍事的に真っ向から衝突し、悲惨な戦争を引き起こしたのは、そのほとんどがアジアの地においてでありました。ご承知の如く、その一つは朝鮮戦争であり、もう一つは現在も続いているベトナム戦争であります。 これらの戦乱に関係している自由主義陣営の旗頭はアメリカであり、共産主義側の後ろだてはソ連よりもむしろ中国なのであります。しかるに、その中国の国際社会における立ち場は、国連にも参加せず、諸外国とも極めて不安定な外交関係しか結んでいない。「竹のカーテン」に包まれて、お互いの実情が漠然(ばくぜん)としか、わからないというありさまであります。このいわば国際社会の異端児のような中国を、他の国と共に、平等に公正に交際していくような状態にもっていかなければ、アジアの平和も、ひいては世界の平和は、いつまでたっても実現できないという事は非常に心配でありますし、それを私は憂えるのであります。そして、これこそが私はアジアにおける国々すなわち韓国や台湾・ベトナム・タイ・ラオス等の政治的安定と、経済的繁栄を可能ならしめる絶対条件であると確信したいと思いますけれども、いかがでしょうか。(大拍手) ◆中国を国際的討議の場へ それでは、そのために必要なことは何か。その一つは中共政権の存在を法的に認めること。第二は、国連における正当な席を用意し、国際的な討議の場に登場してもらうこと。第三には、経済的・文化的な交流を推進することであります。 この、かたくなに閉ざされた中国に対して、それを開かせる最も有力な鍵を握っているのは、歴史的な伝統のうえからも、地理的な位置からいっても、民族的な親近性からも、我が日本をおいては絶対にありません。ところが現在の日本は、中国が最もきらっているアメリカの核のカサに入り、中共政府を承認もしなければ、国交を回復しようともしない。わずかの貿易ルートすら、年々減少しておる状態であります。 かつて、恩師戸田先生の詠まれた歌に「アジアの民に日(ひかり)をぞ送らん」との一句があります。私どもの提唱する日本の進路は、あくまでも中道主義であり、右でもなければ左でもない。「日をぞ送らん」とは、もとより大仏法の東洋広布であります。日本がアジアの一国である以上、アジアの民衆の幸福を最も重視し、最も優先することは当然の道理であり、また義務といえると私は思いますけれども、諸君はいかがでありましょうか。(大拍手) 日中両国の間には、いまだあの戦争の傷跡は消えておりません。しかし、戦後すでに二十三年、今日ここに集まった諸君達も大部分は、あの戦争にはなんの関係もない世代であろうと思う。中国で活躍している紅衛兵等の青少年も、やはり戦争とは無関係でありましょう。そういう未来の諸君達にまで、かつての戦争の傷を重荷として残すようなことがあっては断じてならない。 諸君達が社会の中核となったときには、日本の青年も、中国の青年も共に手を取り合い、明るい世界の建設に笑みを交しながら働いていけるようでなくてはならない。この日本・中国そしてそれを軸として、アジアのあらゆる民衆が助け合っていくようになったときこそ、今日のアジアをおおう戦争の残虐(ざんぎゃく)と貧困の暗雲が吹き払われる時であり、希望と幸せの陽光が、燦々と降り注ぐ時代である、と私はいいたいのであります。(大拍手) 私は、決して共産主義の礼賛者ではありません。また、まじめな日本の多くの人々も、中共の出方を恐れ、心配し、警戒している心理も、よく感じ、知っておるつもりであります。ただ国際社会の動向のうえから、アジアはもとより、世界の平和のためには、いかなる国とも仲良くしていかなくてはならない。 核時代の今日、人類を破滅から救うか否かは、この国境を越えた友情を確立出来るか否かにかかっているといっても過言ではない。ここで中国問題をあえて論ずるのも、この一点に私の発想があることを知って頂きたいのであります。 甘いと言われるかもしれない。研究が足らぬといわれるかもしれません。しかし、この中国問題の解決なくして、真の戦後は終わったと言えないのであります。このままの体制で、いい気になっておれば、いつか日本は大波と怒濤(どとう)を受けねばならぬ運命となることも必定でありましょう。 ◆毛沢東主義はむしろ民族主義 ところで、具体的な問題に入るに先立ってふれておかねばならないのは、毛沢東主義をどう評価するか、中国は侵略的な危険な国かどうかということであります。なぜかならば、我が国の保守派の人々の間には、中国は侵略的で危険な国だから、日米安保体制を固めて、中国とはあまり付き合わないほうがよいという考え方が非常に強いからであります。 この点について私の意見は、毛沢東主義といっても本質的には、マルクス・レーニン主義というより民族主義に近い。また、唯物論的な共産主義である以上に、東洋伝統の精神主義的な血を引き継いでいると思う。したがって一応、毛沢東主義は、マルクス・レーニン主義の正統学派であると称しておりますが、それは革命の旗印にすぎない。中国人の民族意識は、そんなものより、はるかに強い。 たとえば、中共が始めて核実験に成功したとき台湾や香港の中国人が涙を流して喜んだといわれております。また、中印紛争等の際も、台湾は、はっきり中共を支持しております。 また、唯物主義であるより精神主義的だというのは、毛沢東は非常に人間の思想的変革を重んずるのであります。それは現在の文化大革命のやり方をみても、ソ連などのように簡単に処刑したりしないで、皆で非難したり、引きずり出して、みせしめにはするが、身柄についてはなにもしない。我々にとってはまことに不思議なやり方でありますが、彼らなりに、意識革命の方法を取ろうとしているように思われるのであります。 外国に対する勢力拡大も、こういう伝統的な考え方からいっている。また、現在の中共の国力、経済建設の段階から判断しても、直接に武力をもって侵略戦争を始めることは考えられない。これまでのやり方をみても、まず相手国内部の革命分子を援助し、そして育てて、その国の内部から崩すというのが定石であります。 したがって、中国との交際を深めたからといっても、国情が安定し大衆が豊かであれば、革命が起こることはありえない。私は、いたずらに侵略の幻影に脅(おびや)かされて、武装を強化したり、反共の殻(から)を固めたり、あるいは安全保障体制を固めることよりも、大衆の福祉向上こそ最高の安全保障であり、暴力革命の波に対する最も強靱(きょうじん)な防波堤であるといいたいのであります。(大拍手) ただし、仮に中国が他国を武力侵略するようなことがあれば、当然私の考えも変更する事はやむおえない。 ともあれ、中国は人口七億一千万の巨大な国であります。更に、三千年以上の大河のごとき歴史の流れをもつ大民族であります。その思考形式は全く複雑であり、単純に割り切ろうとすると必ず行き詰まってしまう。また気短に小さなスケールで計ろうとすると、とんでもない誤りをおこすことになってしまう。 これから述べる、国交回復の問題・国連での代表権・日中貿易の問題等の具体的事項の解決にあたっても、こうした前提、知識を十分にわきまえ、長期の見通しに立った粘り強い交渉が必要であることを強調しておきたい。 ◆早急に日中首脳会談を まず第一に、日中国交の正常化についてであります。これについては、一九五二年に台湾政府との間に日華条約が結ばれており、我が日本政府は、これによって、すでに日中講和問題は解決されている、という立ち場をとっております。だが、これは大陸・中国の七億一千万民衆をまるで存在しないかのごとく無視した観念論にすぎないのであります。 およそ国交の正常化とは、相互の国民同士が互いに理解しあい、交流しあって相互の利益を増進し、ひいては世界平和の推進に貢献することが出来て、それで初めて意義をもつものであります。したがって、日中国交についても、その対象の実体は、中国七億一千万の民衆にある。それを無視して大義名分にこだわり、いかに筋を通したとしても、それはナンセンスであるといわざるをえないのであります。 現に、周恩来をはじめ、中共の首脳は、一貫して中国と日本との戦争関係はまだ集結をみてない、との見解をとっている。このままの状態では、いくら日本が終結したといっても、円満な国交関係が実現するわけがない。したがって、なんとしてでも、日本政府は北京政府と話し合うべきであると思う。 しかも、その国交正常化のためには、これに付随して種々の解決されなければならない問題がたくさんあります。第二次大戦中、日本が中国に与えた損害に対する賠償問題、また、主として満州における在外資産の請求権の問題等々であります。これらは、いずれも複雑で困難な問題であり、日中両国の相互理解と深い信頼、また、なによりも平和への共通の願望なくしては解決できない問題であります。 これまでの小手先の外交や、細かい問題を解決して最後に国交回復にもっていくという、いわゆる西洋式の帰納法的な行き方では、いくら努力しても失敗するでありましょう。私は、むしろ、まず両国の首相が、最高責任者が話し合って、基本的な平和への共通の意思を確認し、大局観、基本線から固めていく。そしてそれから細かい問題に及んでいく。このいわば演繹(えんえき)的な方法で行くことが、問題解決の直道であると主張しておきたいんであります。(大拍手) 日中両国の首脳が粘り強く何回も何回も、前向きの交渉を繰り返していくならば、必ずや解決の光明が見いだせることは間違いない。しかし現在の佐藤政権には、その意思もなければ、中共も見向きもしないことは明らかであります。それを成し遂げていくのは、私は公明党以外に断じてないと申し上げたいのであります。(大拍手) もとより、こうした中共との接近に対しては、台湾政府やアメリカから、相当強い反対が出てくることも必定でありましょう。だが、我々は、中共に接近するからといって、台湾やアメリカと離れるわけでは決してない。今、最も必要なのは、この両者の橋渡しではないでしょうか。(大拍手) 私は、その役目を日本が担うべきであると訴えるのであります。したがって、これはどこからも文句を言われる筋合いもない。それどころか、必ず感謝され、期待されてこそ当然であります。否、後世のアジアの民衆から、そして日本の民衆から、必ずや感謝される時がくると私は深く確信するのであります。(大拍手) すでにアメリカ国内においても、米中を平和関係にもっていかぬ限り、戦争の根を断ち切ることは出来ないとする、良識ある人々も出始めております。たとえばマンスフィールド上院議員は、ベトナム戦争に関して「遅かれ早かれ、朝鮮戦争のときと同じように、一時的な休戦が成立するかもしれない。しかし、私の判断するところ、我々が米中関係の諸問題と率直に対決しなければ、朝鮮でも、ベトナムでも、またアジアのいかなるところにおいても、永続的な平和がくることは望みえないであろう」と述べております。 だが、アメリカ政府並びに国民が、中国に対して好意的な態度をとるようになるには、あまりにも遠い先のことであるように考えられる。それに比して、戦争の危機は、あまりにも近くに迫っている。原水爆戦争の脅威を考えるならば、一刻も早く、この両大国を和解させなければならない。その仲介の任にあたるべき国こそ、日本をおいて絶対にない、と私はいっておきたいのであります。(大拍手) ◆世界民族主義の理念実現へ 日本は古代の国家統一のころより以来、否、厳密にいえば、それよりはるか以前から、一貫して中国文明の影響に生々発展を続けてまいりました。我が国の仏教は中国から伝えられたものでありますし、私どもの勤行のときに読んでいる経文だって漢文であります。政治哲学や道徳などは、中国の儒教をそのまま取り入れておりますし、今ではすっかり日本化してしまった様々な風俗習慣も、元をただせば、中国に起源をもっているのであります。 民族性の点からいっても、奈良朝時代、かなりの中国人が帰化してきたといわれております。有名な伝教大師もそうした帰化人の子孫だと伝えられておりますし、たとえば当時の日本の中心地であった京都の太秦(うずまさ)など、それは太いという字に秦の始皇帝の秦という字を書きますが、やはり当時の帰化人の居住地である。そうした面影をしのばせる地名は、各地にたくさん残っております。こうした歴史的な関係、民族性や風俗の近しさからいっても、日中友好は自然の流れであります。 更に御書の鏡に照らして論ずるならば、中国は、かつて大乗仏法の流布した国であり、また、未来において仏法西還の御予言のごとく、必ずこの妙法が流布していく有縁の国土であります。(大拍手) 今のように、日本が中国に背を向け、東洋民衆の苦悩に対して、手をこまねいていること、それこそ不自然であり不合理であるといわざるをえない。 あるフランスの評論家は「アメリカの極東政策を修正させる鍵をもっているのは日本である。その日本が国際情勢を緩和するという役割を果たすためには、中国との関係をすみやかに正常化し、独自の政策をもつべきである」という意味のことを述べておりました。まことに私も同感であります。 そしてまた、このことから日中国交の正常化は、単に日本の為のみならず、世界の客観情勢が要請する日本の使命であると私はいいたいのであります。(大拍手) この意味においても、公明党の「中道主義・世界民族主義」の理念が、いよいよ具体的な意義を発揮する時代に入ったと確信したのであります。(大拍手) ◆中国の国連参加へ強い努力を 次に中国の国連加盟問題についてでいえば、これは、一般には代表権問題といわれるように、国連における中国の名札のある席に、北京政府と台湾政府とどちらの代表が座るかという問題であります。常識的にいえば、大陸の中華人民共和国と中華民国と、二つに分かれているのでありますから新たに席を設けて、両方が並んでれば、それでよいと思いますけれども、それでは当事者同士が承知しない。 台湾政府は「自分が全中国の代表である」といい、北京政府も「自分が中国全土の支配権を持っている」というのであります。 この中国代表権問題が初めて取り上げられたのは、一九五〇年の第五回国連総会であります。アメリカも、それより以前は中共が内戦で勝利を収めるにつれて中共承認ということも考え始めていたということでありますが、朝鮮戦争で中共義勇軍が出てくるに及んで、反対派になってしまった。それ以降十年間アメリカは、いわゆる「タナ上げ方式」で中国代表権問題を封じ込めてきたわけであります。 ところが、中共支持が年々増え一九六〇年には、アメリカの「タナ上げ案」に対する賛否が、42対34まで迫ってきた。そこで新たに、一九六一年からは「重要事項指定方式」をとるようになったのであります。この方式は、国連憲章の第十八条に「重要事項に関する総会の決定は、出席し、かつ投票する加盟国の三分の二の多数によって行われる」と規定されているのを、よりどころにしたものであります。すなわち、アメリカは、単純過半数の多数決では危うくなったので、三分の二の多数を必要とする重要事項指定の方式をとったわけであります。 では「重要事項」とは、どういうものをいうかというと、安保理事会等の理事国の選挙、新加盟国の承認などが憲章にあげられていますが、それ以外の事項でも、出席し、かつ投票した加盟国の過半数の賛成であれば「重要事項」に指定できることになっている。 中国代表権はこの最後の場合で、アメリカは「中共に代表権を認めるのは賛成だが、その前にまず、重要な事項として認める」という老獪(ろうかい)な策をねらったわけであります。しかし、それでもなお、国連における北京政府支持の票は年々増え、一九六五年の第二十回総会では、47対47の賛否同数になっております。これをヤマに、それ以降は、中国が文化大革命で外交路線を硬化させ、感情的に悪化したので、若干、支持票は減っております。だが、文化大革命も次第に収束の方向に進み、すでにパキスタンをはじめ、徐々に外交を再開しておりますから、再び国際政局に大きな影響力を及ぼしていくことは間違いない。 ともあれ、大勢としては、世界の世論は、北京政府支持にだんだんに傾いていくでありましょう。国際通の人々に言わせると「おそらく、四、五年で国連における中国代表権は、北京に帰するだろう」と予想しております。 我が国の自民党政府は、これまで一貫して対米追従主義に終始してまいりました。だが日本も独立国である以上、独自の信念をもち、自主的な外交政策を進めていくのは当然の権利であります。(拍手) まして、過去二千年の中国との深い関係に思いをいたし、現在の国際社会における日本の位置を自覚し、更に未来の世界平和の理想を考えるならば、いつまでも、このままであってはならない。 時代は刻々と動いている。未来にレンズを合わせて活躍していくのは、青年の特権であります。また、青年達をそうさせていくのが、為政者、そして、指導者の責任ではないでしょうか。(大拍手) 本年秋、また第二十三回の国連総会が開かれますが、日本はこれまでのようにアメリカの重要事項指定方式に加担するのでなく、中国の国連参加をを積極的に推進すべきであります。およそ、地球全人口の四分の一を占める中国が実質的に国連から排斥されているこの現状は、誰人が考えても国連の重要な欠陥といわねばならない。これを解決することこそ真実の国連中心主義であり、世界平和への偉大な寄与であると思いますけれども、いかがでしょうか。(大拍手) ◆日中貿易拡大への構想 次に日中貿易の問題について構想を述べてみたい。もとよりこれは、日中両国の相互理解のうえに初めて成り立つものでありますから、中国側の主張なり、言い分を無視して考えるわけにはいかない。この点に関しては、中国は過去二度にわたって「対日三原則」なるものを示してきております。 その一つは、一九五八年五月、いわゆる国旗侮辱事件が起こったときに中国があげたもので「政治三原則」といわれております。内容は、第一に、日本が中国敵視の政策をとらぬこと。第二に、二つの中国をつくる陰謀に加わらぬこと。第三に、国交回復の努力を妨げぬこと。の、この三点であります。 もう一つは、この国旗事件で中断のあった後、一九六〇年八月、再び貿易を再開しよう、という動きが盛り上がってきた。その時にあたって、中国側が提示したもので、これは「貿易三原則」と呼ばれております。ただしこちらは、先の政治三原則のように、日本側に注文を付け制約するものでなく、日中貿易のルートを三段階に分け、むしろ推進することを意図したものと考えて、一向さしつかえないと思います。 すなわち、一九六二年十一月に、中国側の廖承志(りょうしょうし)、日本側の高碕達之助両氏によって、新しい貿易の進め方に関する覚え書が交され、これに基づく総合貿易を、両氏の頭文字を取って「LT貿易」と呼んでおります。まず一九六三年より一九六七年にいたる五か年協定が成立し、中国側では「廖承志事務所」、日本側では「日中総合貿易連絡協議会」というのが設置され、この両者を通じて貿易が推進されてまいりました。 ところが、昨一九六七年で期限切れとなったので、本年二月、再度話し合いが行なわれた訳であります。その結果発足したのが、「日中覚え書貿易」で、これは期限を一年間に区切った極めて不安定な協定になっております。 なお、LT貿易、あるいはその継続である覚え書貿易が、政府間協定に準ずる性格をもつのに対し、民間の友好商社による貿易ルートとして、一九六二年十二月に「日中友好取り引きに関する議定書」が調印され発足されております。この日本側の窓口には「日中貿易促進会」「日本国際貿易促進協会」「同関西本部」の三団体が、中国側の窓口には「国際貿易促進委員会」がこれにあたっております。 しかるに、こうした日中貿易に対して日本政府の態度はどうかというと、財界の有志まかせで、全く消極的であるばかりでなく、対米追従主義から種々の制限を加えているのであります。その背景には、アメリカが中国を敵国視していること、日米安保条約等も中国を最大の敵国と仮定していることがあげられております。 このような、我が国の自民党政府のあり方が、先にあげた政治三原則にふれることは当然であり、中国側もこのため、いきおい警戒的な態度をとらざるをえない。事実、日中貿易は、ここ二、三年、年ごとに減少し、全体のなかでもわずか数㌫を占めるにすぎない現状なのであります。 ◆吉田書簡は廃棄すべし 更に、日中貿易に制限を加えているものとして、有名な「吉田書簡」の問題があります。これは去る一九六四年に吉田元首相が台湾を訪問し、その直後、吉田氏が私信として、蔣介石の秘書に書簡を出した。 その内容は、日本政府はLT貿易など、日本と中国との間で行なわれている貿易、特に日本からの輸出に対して、輸出入銀行などの政府資金を使って長期延べ払いはしないというものであります。もとより、これは純然たる私信であり、吉田さんもすでに亡くなっているのですから、拘束される理由はなにもない。だが、佐藤首相はかつて吉田学校の優等生であったせいか、吉田さんの亡霊にとりつかれている。政府資金による長期延べ払いを認めないということは、事実上、貿易取り引きの首を締めると同じことなのであります。 私はなによりも、まず自民党政府は、この吉田書簡の廃棄を宣言し、貿易三原則にしたがって、一歩でも二歩でも、貿易を拡大する方向に努力を積み重ねていくべきである、と訴えたいんであります。(大拍手) 中国は今、経済建設の途上にあります。核兵器の製造など極端に進んだ面もありますが、全般的には産業の水準はまだまだ低い。かつてはソ連の技術を取り入れておりましたが、中ソ対立以来、ほとんど独力で開発を進めている。自尊心が強く、孤高のようにみえますが、内心では、先進国の技術を待望していることは絶対間違いないと思う。ちなみに、中ソ分裂後、中国は西欧諸国からのプラントをかなり大幅に受け入れてさえいるのであります。 たとえば、イギリスから化学肥料プラントを取り入れ、四川省に大規模な化学肥料工業の基地を建設している。また、オーストリアからの技術導入で、太原に転炉を建設しておりますし、西ドイツの原油分解プラントとイギリスのポリエチレンプラントの組み合わせで、蘭州に石油化学コンビナートを形成する計画も着々と進めている。更に現在、西ドイツとの間で、相当大規模な鉄鋼プラントの交渉も進めていると伝えられております。 技術導入に限らず、貿易全体として、中国が社会主義国と取り引きした額と、資本主義国と取り引きした額との比率を出してみると、かつて一九五〇年代は、ソ連一辺倒で、約七割が、いわゆる共産圏内で占められておりました。ところが十年後の一九六〇年代に入ってからは、逆に資本主義国との取り引きが七割になっている現状であります。ここ二年間は、文化大革命の影響で、イギリス公使館が包囲されたり、貿易も減少しておりますが、すでにこれも収拾の段階に入り、やがて落ち着くときがくるでありましょう。 フランスのロベール・ギランは、やはり、対中国貿易で最も有利な立場にあるのは日本であろうと述べております。日本自体としても、その立地条件からいっても、遠い将来の発展のため、豊かな資源をもつとともに巨大なマーケットでもあるこの中国と、密接な関係を結ぶことは最も有利であり、必要であると私はいいたいのであります。(大拍手) しかも、それが単なる経済的利益のみならず、アジアの繁栄、ひいては世界平和の偉大な貢献に直結することを、私は強調しておきたいんであります。(大拍手) ◆アジアの繁栄と世界平和のために また、すでに述べたごとく、世界の平和にとって最も不安定で、深刻な危機をはらんでいるのが、悲しくもアジア地域であります。そのアジアの不安定の根本的な原因は、アジアの貧困であります。また自由圏のアジアと共産圏のアジアとの隔絶と、不信と、対立であるということも明瞭(めいりょう)な事実であります。このアジアの貧困を根底から癒すためには、日本がこれまでのアジアに背を向けた姿勢を改めて、積極的にアジアの繁栄のために尽くしていくことが、どうしても必要である。また、日本が率先して中国との友好関係を樹立することは、アジアのなかにある東西の対立を緩和(かんわ)し、やがては、見事に解消するにいたることも、必ずや出来ると私は訴えたいんであります。(大拍手) 確かに、現状はさまざまの不安定をはらんでおりましょう。目前の利益、日本一国の高度成長のみを考えるならば、現在の外交路線が安全であるように見えるかもしれない。だが、このままではますます戦争の危機を深め、やがて日本の繁栄も夢となってしまうことも十分考えられる。それを私は心より心配するのであります。 現在、日本は、自由主義圏で第二位の国民総生産に達し、かつてない繁栄を誇っております。しかしこれは、低所得の国民大衆と、アジア民衆の貧困のうえに立った砂上の楼閣(ろうかく)にすぎない。あるフランスの経済学者は、日本の繁栄を「魂のない繁栄」と呼び、ある社会学者にいたっては「豊かだが、去勢された国民である」とさえ言っているのであります。国家、民族は、国際社会のなかにおいて、かつてのごとく、利益のみを追求する集団であるはずはない。広く国際的視野に立って、平和のため、繁栄のため、文化の発展・進歩のために、すすんで貢献していってこそ、新しい世紀の価値ある民族といえるのでは思うのであります。(大拍手) 私は、今こそ日本は、この世界的な視野に立って、アジアの繁栄と世界の平和のため、その最も重要な要として、中国との国交正常化、国連参加、貿易促進に全力を傾注していくべきであることを重ねて訴えるものであります。 なお、以上述べた私の中国観に対して、ある人は浅薄であるとか、非現実的であるという批判をするかもしれない。またある人は、賛同して下さる方もあるでしょう。私は、あとは賢明な諸君の判断に一切まかせます。ただ、私の信念として、これらの世界を考えるにあたって、どうしても日本が、そして諸君が青年達が経なければならない問題として、あえて申し述べたわけであります。そして、これが何かの参考としていただければ、望外な喜びなのであります。 また、このように日中の友好を提唱すると、往々にして「左寄り」であるかのように曲解される事も私はよく知っております。こうした事は、全く迷惑千万な早合点なのであります。 仏法という立ち場からいって、人間性を根幹に、世界民族主義の次元に立って、世界平和と日本の安泰(あんたい)を願っていくことは当然であり、この本質をとらえていくならば、右でもなければ、左でもないことは明瞭に理解できると思います。現象面だけ見て、右とか左とか、せっかちな論断を下すことは大きい誤ちである。所詮、右とか、左とかいっても、その思考の基点は何か、その基点を無視して右だの左だのと論議してもそれは無意味であります。この基点こそ色心不二の大哲理であり、この基点をしっかりとふまえた行き方が、中道主義ではないでしょうか。(大拍手) 学生部二十三万の諸君の更に偉大な発展と成長のために、今後の指針を一言申し上げておきたい。(拍手) 第一に「ひとたび妙法に生きた学徒は、革命児であることを疑ってはならない」ということであります。 その実証は、十年、二十年の歳月を必要とするかもしれませんが、すでに末法万年の救世主日蓮大聖人から一人も残らず授記を受けていることを自覚して、人生の前進をしていっていただきたいのであります。(大拍手) 結局、この自覚の強弱が、諸君の未来を大きく決定するであろう、と私は強いて申し上げておきたいのであります。 第二に「妙法を実践する学徒は、今、どれほどの困難にあろうとも、断じてひるんではならない。恐れてはならない」ということであります。 蓮の華は泥沼が深ければ深いほど、見事に大きく咲くのであります。御書の如蓮華在水の原理は、諸君のためにこそあると思索していっていただきたいのであります。アスファルトには花は咲けない。峻厳な山の尾根を登らずして山の味は決してわからない。同じく、青春の苦悩も、経済的な困窮も、全ては新社会への指導者として育つ人間革命のために、必須な条件であることを知って頂きたいんであります。(大拍手) 決して困難を避けてはならない。中傷・批判を恐れてはならない。むしろ偉大な成長の糧として、感謝していくぐらいであって頂きたいのであります。 第三に「人類数千年の文化遺産は、ことごとく諸君のために用意されている。したがって、知識に対しては貪欲でなければならない」ということであります。 申すまでもなく智恵の根源は妙法にある。したがって妙法を実践する学徒でなければ、過去の文化遺産を正しく、そして大きく生かしていくことは不可能であるからであります。 また、未来の真の文化をうるのは、諸君をおいてないと思うから申し上げたい。知識に対して貪欲でなかったならば、せっかくの智恵は機能を失ってしまうのであります。智恵が大きく顕現するときは、常に知識の衣をまとっているものであります。 第四に「新しき生命の世紀の動向は、全て諸君の掌中にあることを知るべきである」と申し上げたい。 今、世界の数千万の学徒のなかで、生命の哲理をだれが真剣に把握しているであろうか。諸君をおいて、いずこの国にいるであろうか。 諸君の仏法の真髄の研鑚と努力とが、輝くばかりの生命の世紀の扉を開く原動力であることを、私は申し上げておきたいのであります。(大拍手) 第五に「喜々として妙法を信じ・行じ・学び、真摯(しんし)な学徒として行動するならば、輝く知性と鉄の意志と、頑健な身体は、諸君の生涯のものとなるであろう」ということであります。 二十一世紀への新しき世界的波動はすでに開始されております。蠢動(しゅんどう)し始めております。やがて必ず怒濤(どとう)となっていくでありましょう。その怒濤のなかで悠々と抜き手をきって、世界の民衆を青年を幸福の彼岸に運ぶためには、妙法に照らされた知性と意志と体力とをもつ諸君の出現が、絶対の要請となってくることを私は確信したいんであります。(大拍手) 御義口伝にいわく「此の法華経を閻浮提(えんぶだい)に行ずることは普賢菩薩の威神(いしん)の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」と云々。(御書全集七八〇㌻)普賢菩薩とは学生部の諸君のことであります。諸君こそ世界の広宣流布の主体者であり、中心人物たれとの御文なのであります。 どうか、諸君はしっかり語学をマスターし、いつでも世界の広宣流布の舞台に躍り出ていける力を、この学生時代に養って頂きたいことを重ねてお願いするものであります。(大拍手) 私は、諸君にバトンタッチをするため、全力をあげて戦い、道を開き、舞台を整えておきます。その舞台のうえにどうか新時代の旗手、自由の平和の戦士として、伸びのびと、自由自在に乱舞していってください。(大拍手) 観心本尊抄にいわく「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書全集二五四㌻)、また報恩抄にいわく「根ふかければ枝しげし源(みなもと)遠ければ流ながし」(御書全集三二九㌻)と。 最後に、ご来賓の方々に、学生部一同に代わって深く御礼申し上げ、共に戦う学生部に「栄光の未来に進む諸君に栄冠あれ」と念じつつ、私の話を終わらせていただきます。(大拍手) *音声データを元にテキスト化してあります。