
邪教の定義 ・・・誠の正しい宗教とは何でしょうか?。
世界にはありとあらゆる宗教が存在しますが、それぞれが正当性を主張し、自らの宗教こそが正しい宗教であると教え広めています。そしてその教えと相反する考えを邪教と称して、忌み嫌い、排斥し、最悪は互いに殺し合う宗教戦争にまでなってしまっています。
この様な世界感の中において、私たちの信ずる創価学会の宗教上の正当性とは何でしょうか?。
日蓮大聖人の仏法を信じ、何が正義であり、何が悪で、どのような定義を元に他宗・他教が邪宗教であるのか?。
かつて池田先生が創価学会第三代会長時代に、男子部員として活動していた私には、現在の原田会長の指導の下に歩んでいる創価学会の行動原理を考えるとき、第三代会長であった池田先生とは、あまりにも原理原則から外れていると考えざるを得ません。
私が創価学会の基本的理念と考えているのは、毎朝毎晩、勤行唱題が終了した後に唱える「世界平和と一切衆生の幸福の為に」の御祈念こそが、誠の創価学会理念と考えています。
池田名誉会長のご指導の中にも「私たちの創価学会の基本的理念は、人間一人も残さず生命尊厳と言うのが、日蓮大聖人の仏法を信ずる私たち創価学会の基本的理念です」と指導されていました。
池田先生が中国の周恩来首相や、ソビエトのコスイギン書記長という、当時の世界に大きな影響力のある指導者と会見をされた時「自国の生存権を主張するので有れば、他国の生存権も認めるべきです」 と話されています。
この言葉を重んじれば、武力による解決というのは、存在しません。
国際紛争の解決手段としては、外交や人間的な繋がりなどで、根気よく解決する道しか有りません。
しかしながら、現在の原田会長の指導を元に歩んでいる創価学会は、集団的自衛権を成立させた公明党を支援し、創価学会内部指導においては、中国や北朝鮮の脅威を強調し「米国を中心とした安全保障体制が最も日本とって必要な事です」と嘯(うそぶ)き、あたかも「武力の均衡による解決でしか、平和を維持する事ができない」との公明党の詭弁(きべん)を正当化させています。
かつて池田先生は第三代会長時代、私たち男子部に対しての立正安国論講義の中で「如何に私たちが信仰している創価学会が、数ある宗教の中で唯一正しい宗教であるか」という定義を示されていました。その定義の内容に心を揺さぶられたのが、私のこれまで創価学会の中での信仰の原動力でした。
その定義の内容を次に要約します。

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「人、そく法。法、そく人。人法一箇。」
妙法の当体である南無妙法蓮華経とは、人間生命尊厳の法という教えです。
生命尊厳とは言っても、世界のありとあらゆる宗教が口にする言葉です。
しかし、ひとたび敵対する勢力が現れると、それら勢力の生命をも厭(いと)わず、排斥しようと争いを起こします。
その例として
・中世ヨーロッパにおいて三十年戦争という長い間、同じキリスト教同士でありながら相争い、多くの人々が犠牲になりました。
・また、イスラム教徒とヒンズー教徒との争いでは、インド・パキスタン独立を巡って互いに憎しみ殺し合いました。
・そして我が国においても、僧兵という武力集団によって宗派を拡大させた歴史があり、近代においても戦前、日本中のありとあらゆる宗教が軍部に従い、多くの人々を迷わせ国家を破滅させたのです。
しかし日蓮大聖人の仏法を信じる、私たちの創価学会初代会長である牧口常三郎先生は、時の軍部圧力に屈する事なく生命尊厳を高らかに掲げ、戦争を否定した為に投獄され、獄死されたのでした。
そしてその理念は、二代会長である戸田城聖先生、そして三代会長へと受け継がれ、大仏法運動を展開する現在の創価学会があります。
この生命尊厳の法を揺るぎなく展開し、人間革命・社会革命・世界平和革命へと大転換運動を行っていくのが真の正しい宗教であり、私たち創価学会であります。
そして、この生命尊厳の法を政治の場で展開して行く事が仏法中道であり、中道主義であります。
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これらの定義を基礎に現在の原田体制を考えるとき、既に公明党の政策は戦争法を成立させ、原発を巡る問題でも政府自民党の利益優先の政策に寄り添い、国民の生命や健康を軽ろんじた政治を実行しています。
この様な私たちの平和理念を裏切った公明党を支援し、かつて池田先生の指揮の下に展開していた生命尊厳の法の平和運動ではなく、他国の人々の生命をも厭わず、己の繁栄を願うのみの見せかけの平和運動に変貌してしまった原田達の行為は悪であり、まさに邪教そのものの行為と断言してもいいでしょう。






