学習(5)の補足(A)

副題「軍事国家始動」

池田先生とトインビー博士との対談で、戦争を誘発させる最も危険性が高いと指摘されていた「集団的自衛権」を含む法案を、2015年9月に自民・公明とそれを支援する悪鬼、原田創価学会の協力によって成立させ事実上、憲法9条では許されない「国際紛争における交戦権」を行使できる国家になってしまっている現在の日本です。

アメリカのエスパー国防長官のホルムズ海峡有志連合(軍)参加への要求は、もはや避けることができない状況に追い込まれています。

このような悪しき状況を作り上げてしまった大きな責任は、公明党と悪鬼原田達の裏切り行為にあります。またそれに付き従った創価学会員も同罪です。

池田先生は現在のような国家になってしまわないようにと、47年前の1972年の11月に行われた第35回本部総会での講義で、私たち創価学会が目指す国家のあり方を下記のようにご指導されていました。

現在の創価学会(原田体制)が打ち出している指導の内容と照らし合わせて深く考えてみて下さい。

第35回本部総会での池田先生のご指導より(一部抜粋)

「生命の尊厳観から出てくる自明の理として、国家のありかたについて次のことをいっておきたい。
ご承知のように、戦争を行う主体はほとんど国家であります。この例外は未開社会における部族間の争い、占領下における抵抗運動などがありますが、それはごくまれな例といえる。一般的にいって、戦争とは、国家が犯すもっとも非道な犯罪行為であるといってよい。しかるに、こうした犯罪行為がなぜ許され、むしろその多くは、人々の熱狂的な支持すら得てきたか。それは“もっとも尊厳なるものは、国家である”との、誤れる神話が人々の思考を支配してきたからであります。そして、いっさいの物質的富も、人間の生命も、文明の所産も、この“国家の尊厳”の横暴のまえには、犠牲になってあたりまえである、と考えられてきたのであります。
“生命の尊厳”という理念は、人間の本然そのものであり、古来幾多の心ある人々によって、訴えられてきたにもかかわらず、現実は国家の尊厳によって、全部、踏みにじられてきてしまいました。
現代にいたって、ようやく真に尊厳なるものは、生命であって、国家の尊厳は、権力者のつくりあげた邪悪な神話にすぎないということが、広く認識されるようになったのであります。仏法は、この生命尊厳の思想をもっとも明確に裏づけ、それを現実化せんとした偉大な宗教であります。
仏法のこの信念に立つならば、国家の尊厳という誤れる神話を打ち破り、生命尊厳の理念が現実に支配する世界を実現こそが、仏法者のなさねばならない使命であると同時に、私どもがその先駆を切らねばならないと訴えておきたいのであります。(大拍手)
すなわち、国家はいかなる理由によっても、他の人の生命の尊厳をおかさない無実の人間に、その生命を犠牲に供するよう要求することはできない。いわんや犠牲を強制することは、絶対してはならない、ということであります。
端的にいうならば、さきほど申し上げましたように、国家はいっさいの軍備を解き、徴兵権を放棄し、戦争を行うことを絶対にやめるべきである、と申し上げたい。これをまず、具体的な目標として、恒久平和実現をめざしていくことが、私は宗教者としての使命であり、人間としての責務であると思いますけれども、皆さん、いかがでしょうか。(大拍手)
今日のような、絶望的ともいえる恐るべき世界をつくったのは、もちろん過去からの累積があるとはいえ、現在この地上に生きている世代であります。これをこのままにして、次の世代に引き渡すというのでは、あまりにも私たちは無責任である。あらゆる指導者たちも無責任である。
まして、われわれの時代で人類の歴史を終わらせるようなことがあっては断じてならない。われわれの手によって、見事に解決していくのが、私どもの子供の世代、そして、さらにその子の世代に対する人間としての責任である、と訴えておきたいのであります」





2019年08月17日