池田先生ご指導の学習(1)

第1回目は小説人間革命第10巻。270㌻の8行目から291㌻までを、本をお持ちでない方のために抜粋して掲載します。
この抜粋部分では戸田先生・池田先生が、魔性の権力とも言われる政治に、創価学会が関わりを持たざるを得ない状況を、師弟ともに苦悩している場面が描かれています。くれぐれも読者のみなさんは活字を追って読むのではなく、両先生が悩みながら公明党を創設していった事を読み解いていってください。

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 ひとり機上の人となった伸一は、八日早朝の戸田城聖からの電話が、なおも気にかかってならなかった。東京は、どうも負け戦になるらしい。戸田の苦衷が、まざまざと偲ばれた。
 航空機は厚い雲の層をやぶってやがて雲海の上に出た。果てもない蒼穹(そうきゅう)の下に浮かぶ真っ白な雲は、生きもののようにさまざまな格好をしていて、それがまた徐々に崩れてあらたな姿態をつくりつつあった。この世ならぬ雲海の世界は、あくまで澄み透り、地上の世界をまったく遮(さえぎ)って、さっきまで続いたここ半年の苦闘の種々(くさぐさ)を、とおい過去の足跡(そくせき)として想いうかばせていた。
 伸一は、それらの苦闘が実を結んだ結果に身をゆだねて、他人事(ひとごと)のように客観視する余裕を得たのである。苦しいといえば、あれほど苦しい戦いもない。愉(たの)しいといえば、あれほど愉しい戦いもない。苦楽というものは、本来ひとつのものなのかもしれない。しかし、そういえるのも勝利の栄光が結果したからではないか。もし敗れたとしたならば、苦しさだけが残るのではないだろうか。彼は慄然(りつぜん)とした。彼の一念は、やがて東京の戸田のことだけを考えるのであった。
 雲海の着想は、未来へと向かった。広宣流布の長い旅程のなかにあって、あのような油断ならぬ苦闘から、わが友の会員は永久に免れることがないのだろうか。会員は今後ますます激増する。広布の時が熟しているからだが、その旅程のなかで、選挙のたびに同志の支援活動も何年かを隔ててつづくだろう。すると、世間は創価学会がなにか政治的野心でもあって活動していると思うだろう。学会を政治集団と誤解して、権力もさまざまな干渉をしてくる。創価学会は、あくまでも人類の永遠の幸福をねがっての広宣流布という希有の使命を担った宗団(しゅうだん)でなければならぬ。しかし、このたびのように選挙によって政治とのかかわりも無視して進むわけにもいかない実践段階であることも、現に否定することはできない。
 現実の社会にあって、政治の占める比重は極めて大きい。現実社会へとかかわっていく以上、政治的側面が、当初、どうしてもクローズアップされてしまうことも事実である。そのため、一種の政治的集団のように社会が見ることも免れないであろうか。
 この尊い純粋なる信仰の団体を、いささかたりとも政治化していくように見られることは、残念でならない。信仰を利用しながら政治家をねらう者も出てくるであろう。これもまた排除していく必要がある。
 大阪での戦いは勝った。東京は敗色濃厚である。ともに壮烈な戦いであった。その死闘ともいうべき戦いのなかで垣間見たものは、政治というものの底知れない魔性であった。広宣流布をすすめる以上、その魔性との対決をもはや避けることはできない。かといって進むには、その政治の泥沼に足を踏み入れなければならないだろう。すると学会の広大にして偉大な使命を矮小化(わいしょうか)することになる危険性はありはしまいか。このたびのような選挙活動は、どうしても通らなければならない関所ということになるのだろうか。
 だが、選挙がどうあれ、根本の信心というものを忘れることがあってはならない。創価学会が政治だけを目的とするのであれば、こんな苦しみはないはずだ。そこに広宣流布を現実社会で進めなければならない創価学会固有の苦悩がある。未聞の作業がある。これにはそれ相応の覚悟がなくてはならないはずだ。この避けがたい問題に、いかに対処すべきか。
 ともあれ、広宣流布の実践活動というものは、政治、教育、文化、学術、平和運動へと多大の推進をしていかねばならないはずだ。それを、政治を偏重する社会の通念が、学会を歪(ゆが)んで見、偏狭(へんきょう)な政治集団としてしまうのだろうか。
  伸一は、雲海のなかから突然湧き出たような疑問と、その矛盾に思い沈んでしまった。
 彼はふと雲海の裂け目の下に、美しい海岸線のつらなるのを見た。
 この山河にはなんの矛盾もないように見えるが、そこに棲息(せいそく)する人間社会は、なにゆえに矛盾に矛盾がかさなり、混沌たる様相を呈するのだろうか、と思い沈んだ。いまの彼に解けぬ矛盾は、あまりにも大きく、また重大に思われた。勝利の直後のこの雲海の着想を、わが師戸田城聖に問い質(ただ)したら、師はなんと言われるであろうか。
 彼の心は東京へと、本部へと、戸田の膝下(しっか)へと急いだ。航空機の飛翔は、いまの彼にはひどくのろく思われた。勝利の後の反省は、栄光の陶酔(とうすい)を彼に許さず、彼の醒めた心を苛(さいな)んでいた。
 このころ、東京の本部は憂色(ゆうしょく)につつまれていた。
 九日正午には、清原かつは敗色が濃くなった。翌日の確定票をみても、惜しくも二〇三、六二三票と次点にとどまり、最下位当選者に三七、〇〇〇票ばかり及ばないことが、すでにこのとき判然としたからである。次点に四万票あまりの水をあけて堂々当選を果たした大阪の春木征一郎の二一八、九一五票を思うとき、地元東京勢の敗北は衝撃が大きかった。さまざまな条件のうえから大阪と比較したとき、東京は決して勝てない戦いではなかったという反省が、にわかに彼らの心を責めたのである。
 全国区はなお混沌としていて、開票集計がおくれ、当確者は一名も発表されず、創価学会の四名の全国区推薦候補の帰趨(きすう)も不明であった。九日午後三時の発表をみても、関久男だけが五十位以内にいて、十条俊三や山平忠平は百位以内、原山幸一にいたっては百位以下の順位であった。
 戸田城聖は、会長室にあって不機嫌であった。
 彼が戦いすんで、九日の丑三時(うしみつどき)に予感した不安が、そのまま白昼にさらされている思いがして不愉快であった。たしかに険しい山に差しかかっている。大阪というもっとも険しい山は越えたのに、いちばんなだらかな山と思えた東京が越えられなかった。清原かつを落としてしまった。東京の幹部は何をしていたのか、油断もいいところである。明暗をわかつ油断のおそろしさを、いまさらのように噛みしめていた。そこへ全国区の混沌が重なった。彼の脳裡にかけめぐるものは、広宣流布の至難さについてのあらたな覚悟であった。
 夕刻、山本伸一は本部に着いた。
 彼はただちに二階の会長室へと駆けあがった。
 戸田はシャツ一枚で扇子をつかいながら泰然としていた。
「ただ今もどりました」
「おお、ご苦労。伸ちゃん、ひどい戦をやってしまったよ。大阪の連中は元気だろう。東京は火が消えたようだ。少々だらしないが、負け戦もなかなか教訓に充ち満ちていると、いま考えているところだ」
 戸田は、こう言って伸一に笑いかけながら、煙草の煙をはげしく吐いた。
 伸一は心なしか戸田の疲れた表情を顔にみて、途端に、雲海の着想を言いだす機会を喪(うしな)って口を噤(つぐ)んだ。
「いよいよ険しい山にかかってきたな。大事なのは信心だなあ、伸ちゃん」
 戸田は呟(つぶや)くように言って、こんどは神経質に仁丹を噛んだ。
 そこへ一人の青年幹部が紙片をもってはいってきた。戸田は静かに受けとった。ラジオの得票の中間発表のメモである。五十位以内は関久男だけで、あとの三人は相変わらず五十位以下で、十条俊三がもうひと息のところだった。
「うまくないなあ。あとは関だけか……」
 戸田にとって清原かつの落選は打撃であったらしい。彼の不機嫌を知って、誰も彼も会長室に近寄ることを憚(はばか)っている気配である。戸田には伸一がいま傍にいることだけが、やすらぎであった。彼はごろりと横になって、伸一に言った。
「伸ちゃん、疲れたろう。今日は早く帰って休もうよ。明日また話そう。ちょっと考えなければならぬこともあるのでなァ」
 伸一も、このとき、私もお訊きしなければならないことがあります……と口の先まで出かかったが、それは言葉にならなかった。
 一夜あけて十日になった。全国区の当選者や当選確実者が続々と名をつらねた。関久男だけが二十位前後で当選となり、十条俊三が五十位の前後に浮き沈みして、人びとの肝を冷やし、なかなか決まらなかった。山平忠平と原山幸一は残念ながら落選の見透しとなってきた。
 正午をすぎて、全国区もほぼ確定的となってきた。ヒヤヒヤさせた十条俊三は、辛うじて四十九位で当選となった。あとは散票の集計だけである。関は三一四、四六六票で二十一位、十条は二四六、三八九票、山平と原山は十八万票前後で圏外に落ちた。この四人の全国区の総得票数は最後に九十九万余票となった。
 今回の参議院選挙の焦点は、与党自民党の企てる憲法改正を革新派が阻止できるか、どうかにかかっていた。つまり、参議院の社会党、共産党、革新系無所属の革新派が三分の一以上の議席を占めれば阻止できる。自民党、緑風会、保守系無所属が三分の二の議席を獲得すると、憲法改正が可能になる。予断はなかなか困難で、国民の関心もこの分岐点に集まっていた。
 社会党は四十九名の今回の当選で、非改選の三十一名を加えると八十議席を占めることになった。これは選挙前の六十八議席からみると相当な躍進である。自民党が六十一議席当選で百二十二と現状維持したことから、緑風会の敗退が顕著となった。同会は改選前の四十三議席から三十一に転落した。これで革新派は八十六議席を占めることになり、参議院の三分の一議席は八十四であることから、わずか三議席差で憲法改正を阻止した。まことに危うい選挙であったわけである。
 創価学会の推薦候補は六名のうち、三名当選、三名落選という結果となった。なかば喜び、なかば哀(かな)しむといった、勝ったようでもあり、負けたようでもあるという結果である。だが、大方の学会員にとっては哀しみの比重のほうがはるかに大きかった。それというのも、戸田城聖が会長就任以来五年、創価学会が企画したことは、これまでことごとく的中してそのまま成功してきたからである。年間の折伏成果をはじめ、一年前の統一地方選挙の初陣にしろ、全国的な夏季折伏指導、機関紙の拡張、建造物の基金など、ひとたび企てたことはそのままほとんど一〇〇パーセントが実現し、かつて齟齬(そご)したり躓(つまず)いたりしたことは、これまで一度としてなかった。
 まさしく、祈りとして叶わざるはなしである。そこへ、五〇パーセントの勝利と五〇パーセントの敗北である。多くの会員たちにとっては、大いなる異変として衝撃をうけたのも無理はない。広宣流布の新しい展開に、骨身を砕いていた戸田城聖にとっては、事態はまさに深刻であったといわなければならない。正直いって彼は混乱したのである。真っ先に頭に浮かぶことは、そもそもこの新展開は、正しかったのだろうか、それとも誤っていたのだろうか、時期尚早であったのかも知れぬという自省であった。彼は、この判定にみずから苦しんだ。広宣流布という大業が、未聞の大業であるだけに、歴史上きわめて至難中の難業であることを、彼は誰に言われるまでもなく覚悟していた。それだけに慎重に慎重を期して、全知全能を傾けて事にあたってきたわけである。だが、このたびの五〇パーセントの勝利と敗北は、彼には敗戦とさえ映った。
 しかし、まったくの敗戦ではない、あのもっとも至難とした大阪が見事に勝ったではないか。してみれば時期尚早というには当たらぬ現実がある。錯雑微妙(さくざつびみょう)なところである。
 大阪の勝利をもたらした山本伸一の存在は、いまの戸田城聖にとって広宣流布の未来をト(ぼく)する唯一の星であった。七百年来、不可能とさえ思われた難業の広宣流布を可能へと推進するのもまた、現時点にあっては山本伸一であろうという、いま鮮明に湧き起こってきた確信ほど、思いに沈んだ戸田に救いとなるものはなかった。
 戸田の思索はつづいた。端緒はひらかれた。わが創価学会は、今後ますます信心強きものの宗団(しゅうだん)でなければならない。創価学会は幹である。幹が磐石でありさえすれば、枝や葉も、果実もやがて豊かなものになっていくだろう。現会員四十余万の一人ひとりの信心こそ問題としなければならない。信心の懇切な指導育成こそ、いつの時代にも絶対の要請としなければならない。
さもなければ、広宣流布は空中の楼閣となって終わるだろう。懼(おそ)るべきことだ。量の問題も大切だが、それよりも質に重要な原因があるといわなければならない。
 戸田は、ここで組織の再編成を考えていた。これまでのように、本部を中心とする十六支部の単一な編成では、全国各地の拠点の隅々まで指導の徹底をはかることは、もはや不可能な時期になってきている。ここで一挙に支部を倍増するくらいな大胆な組織変革を遂行しなければならないだろうと、全国に散在する目ぼしい新進幹部の顔々を思い描いていた。しかし、それらの新進幹部たちに、今回のような油断のならぬ苦闘を、いつまでも経験させねばならないのだろうかと考えたとき、彼は未来に一抹の不安が湧くのをどうしようもなかつた。
 化儀(けぎ)の広宣流布という未曾有の大運動は、あらゆる分野にわたっての連続革命、連続運動である。しかし、あくまでも仏法を基調とした平和文化への昇華でなくてはならない。もともと広宣流布とは、人類社会のあらゆる分野に妙法を土壌として真の人物を育てる活動でなければならぬ。なんのかんのといっても、救世の真の新しい政治家も、この土壌なくしては誰も育てることはできないと、確信をもって言いきることができる。
 一世を風靡する人物を、各活動分野に育てないことには、何事もはじまらないではないか。しかし、それが知らずしらずのうちに、一分野にすぎぬ政治にかかわる活動のみが広宣流布だという色彩になるということは、内外に大きな誤解を与えてしまうであろう。
 ともかく、原点たる信心即学会精神というものを、いかにして永続せしめるかに重大なる課題がある。
 それにしても険しい山に、いつかさしかかってしまったものだ。
 戸田城聖は、いま考えることが余りにも多すぎた。
 この日、必要な用件を片づける幹部以外の者を、彼は自室に呼ばなかった。指示を受けると、人びとはすぐ退室した。そして人びとは、戸田が今日は機嫌が悪いといって、会長室にいつものように出入りするものもなく、遠ざかっていた。彼は機嫌が悪かったのではなく、朝からひとり沈思(ちんし)して孤独のうちに思索から思索へと多くの糸をたぐりよせては、また放ち、また新たな糸をつかんで探っていた。
 政治は好きか嫌いかといわれれば、嫌いである。できることなら権謀術数(けんぼうじゅつすう)を事とするこの世界からは身を避けていたい。しかし、広宣流布の途上、どうしても通過しなければならない道程であるとしたら、好き嫌いはいってはいられない。権謀術数を事として人をあざむく政治家ではなく、妙法の土壌から見事な真の政治家を育てなければならぬという重い使命を担う広宣流布の一目的から、このたびの戦いに手を染めなければならなかったのだ。
 戸田の心は、戸田自身を激しく苛(さいな)んだ。今回の戦いで、多くの会員に苦戦を強いてしまった。会員は、この苦戦をもかえりみず、何の利害もなく、身を粉にして戦ってくれた。選挙法にうとかったこともある。新しいカの擡頭(たいとう)をこころよしとしない背後の力もあった。にもかかわらず、ただ純粋に、同志の勝利を願って健闘してくれた。もっとゆとりをもって、伸びのびと戦える道はないものか……。
 戸田は誰よりも深く会員を思いやる人であった。彼にとって、会員の苦痛ほど辛いものはなかった。彼の脳裡には、いとおしい会員の顔がつぎつぎと浮かんでくるのである。彼は、会員の苦悶(くもん)、苦痛が痛いほどわが胸をしめつけるのを感ずるのであった。
 戸田は新しい課題を、四方八方から攻めるように執拗(しつよう)に追っていた。厳しい表情である。煙草を次から次へと間断なく喫(す)い、灰皿は吸殻の山をなした。
 そこへ、山本伸一がはいってきた。戸田は挨拶する伸一に、すぐさま声をかけた。
「暑いなァ。こう暑くては考えることが、なかなか纏(まと)まらなくて弱るよ。は、は、はァ」
 戸田は豪放に笑った。しかし思念の苦渋はかくしようもなく、言葉になって口から出た。
「伸ちゃん、いよいよ広宣流布の活動も大変なことになってきた。将来、君には、大変にやっかいな荷物を背負わせてしまうことになるかもしれないな。昨日から考えているのだが、今度の選挙は、ほんとうに将来の学会にとって新しい面倒な課題を提起しているように思うのだ」
 伸一はこれをきいて、反射的に「雲海の着想」を想い起こした。戸田に先を越されて、訊くより先に言われてしまったことに、伸一は瞬間おどろいた。
「私も帰りの飛行機のなかで、ふとそのことに気づいたのですが、いまの私にはわかりません。それで先生に是非お訊きしたいと、昨日から思っておりました」
「ほう、そうか。責任感が同じなら、考えることもおなじだな」
 戸田は、わが意を得たといわんばかりに眼を細めて、さも愉快そうに笑いだした。
 伸一は、ここであの「雲海の着想」の要点を語った。宗団(しゅうだん)としての本来の宗教活動が、一時的とはいえ、政治的野心をもつように世間に誤解されることは、長い将来を思うとき、創価学会にとってプラスなのか、マイナスなのか。広宣流布という宏大深遠(こうだいしんえん)な活動が、現実的になり、政治的偏向に傾かざるをえなくなっては、広宣流布は矯小化(わいしょうか)されてしまうのではないか。
 戸田は一つひとつ頷(うなず)きながら、じっと伸一の話をきいていた。
「私がいま苦慮しているのも、まさにそのことだが、広宣流布の展開からいって、まるまる避けて通ることはできない。となると、単なる戦略に原理が歪(ゆが)められる危険は絶対に避けなければならないことになる。これがむつかしい点だ。現実的な社会というものは、どうしても安易に政治的に流されやすい。
 ともかく『日蓮が慈悲購大ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳(くどく)あり、無間地獄の道をふさぎぬ』とあるごとく、この日蓮大聖人の精神に微塵も違(たが)わず応えていくのが、広宣流布の真髄である。その上にたっての立正安国はいかにあるべきかが課題である。
 事実、明治にはいって日蓮大聖人の仏法を国家主義的に解釈し、時の権力に迎合して敗戦まで国家的計略の具(ぐ)にしてしまった田中智学などの一派もいた。これこそ大聖人様の仏法の歪曲であり、矮小化です。
 われわれは愚かな轍(てつ)を踏んではならないが、その危険はつねにあると自覚しなければならない。創価学会という仏勅(ぶっちょく)を奉じる宗団(しゅうだん)を政争の具に巻きこんではならないのだ」
「ということは、コントロールの問題ですか?」
「いや、戦術の問題ではない。広宣流布ということは、人類社会の土壌を深く耕し、豊かな稔りある土壌に変えることにある。そうじやないか、こんどの戦いだって、妙法を抱く立派な真の政治家らしい政治家を、まずこの土壌から育てなければならぬということに目標を定めて、とりかかった仕事だ。序の口の序の口だが、意外に大がかりになってしまった。
 どこまでいっても信心であり、そして人間に的があるのです。一人の人間における偉大な人間革命を、終始一貫問題にしなければならない。そのために政治の分野にも真の政治家を育成することが、これからの課題となってきたところだよ」
「そうですね。今回推薦して当選した人がなんとしても立派な政治家として育ち、政治の分野の土壌を深く耕してほしいですね」
「そうだ、当選したものが、民衆のために、国家のために、人類のために、いかに嵐をうけながら、奔走するかということなのだ。それを皆で激励し見守っていきたい……」
「わかりました。それには長い時間が必要ですね」
「そのとおり。しかし手を洪(こまね)いていては、いつまでも育たない。その第一歩として、こんどのような支援活動をやった。しかし、その広宣流布の道程が、いかに険難であるかを思い知らされたような気がする。
 伸ちゃん、現実は修羅場であり戦場だな。社会の泥沼には権力闘争が渦巻いている。そのなかで妙法の政治家を育てていくんだから、相当の覚悟が必要だ。まず、権力の魔性と対決することになる」
「たしかに、そのとおりです。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクが〝権力にはメドゥーザの眼光がある〟 と書いているとおりですね」
 伸一の語った〝メドゥーザの眼光〟というのは、ギリシア神話に出てくる物語で、メドゥーザという女神が、見る人すべてを石と化してしまう話である。
 権力の魔性にあって、将来ある妙法の政治家が石と化してはかなわない。
 思いめぐらしていた戸田は、呟(つぶや)くように言った。
「この権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破れないんだ。それは、社会の仕組みもさることながら、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つものは『仏』しかないからだよ」
部屋には、誰も入って来なかった。
二人の師と弟子だけの率直な真摯(しんし)な対話は、二時間あまりもつづいていた。
戸田は、急に観点を変えて話しだした。
「仮にいまの自民党にしろ、社会党にしろ、妙法の上に立ったとしたら、そのままでも民衆の希(ねが)う真の平和な幸福な世界の実現にかなり寄与し得るだろう。それもひとつの方法であるかもしれないが、まずあり得ないことだ。しかし、いまの日本の現状を思うにつけ、政治家だけがどうこういってもどうにもならない。新しい民衆の基盤から新しい民衆の代表である政治家の誕生が、今ほど望まれている時代はない。創価学会から同志を政治の分野に送ったのも、時代の要請ともいえよう。
 今のところ私たちの送りだした同志は、政治手腕も未熟だし、未知数だ。しかし、いつまでも素人ではないだろう。やがて政治家としても有能な人物に成長していくことを私はねがっている。
 今回の選挙でも、政治に無関心であった多くの人びとに、政治を身近に知らせたことには、大きな意味がある。大事なことは、そうした土壌をさらにつくることだ。その新しい土壌から、新しい本格派の政治家がつぎつぎと出現することを期待したい。決して政治家ひとりでは何もできるものではない。結局、人間が原点である。人間が的である。
将来、二十年先か、三十年先か、五十年先になるかわからないが、妙法の土壌からまったく新しい真の政治家が出現したとしたらどうだろう。多数の民衆の衆望というものを担った偉大な一世を風靡するような政治家が、われわれの土壌から出たとする。衆望のおもむくところ、民衆はその政治家を信頼するに足るとして、彼の政策遂行に協力せずにはいないだろう。こうなると、この政治家を中心として民衆自身の望む政党もできるであろう。
  こうなると、いまの会員の支持など問題でなくなる。社会の広汎(こうはん)な民衆の支持こそ基盤となる。つまり、会員は選挙権の行使に気をつかわなくて済むに至るだろう。時代とともにここまで拡散しなければ政治の分野の広宣流布とはいえないのではないだろうか。
 広汎な支持する民衆と有能な政治家とが相まって、新しい時代が開かれていくにちがいない。
 また、一方からすれば、こうも考えられる。広宣流布がこのままどんどん進んで、会員世帯も激増に激増を重ねて、舎衛(しゃえ)の三億(さんおく)の方程式に、どうやら叶うような社会が実現するとする。こういう時代になると、創価学会は社会のあらゆる分野に拡散し、多くの人材を送り出しているであろう。そうなると、いわば創価学会は、壮大な教育啓蒙的母体としてそれにとどまらず、人類の平和と文化の不可欠な中核体となるだろう。
 今後、やがて時代とともに徐々にこういった方向にむかうと私は考えている。伸ちやん、どうもそういうことになるのじゃないか。
 要は『人間』をつくることだ。伸ちやん、この人間革命の運動は、世界的に広がっていくことになるのだよ」
 戸田は伸一と語りあっているうちに、知らずしらず広宣流布の未来図を話していた。話しているうちに、おのずと描かれたのである。
 伸一は、その未来図を遠く望むように眼を細めて言った。
「創価学会が社会に拡散して、壮大な人間触発の大地となる。そこから、人類の輝かしい新しい未来が眼前に展(ひら)ける、まことに雄大な構想ですね。ずいぶん先の将来に思えますが……」
「遠いといっても、百年も先ということにはなるまい。しかし私の生涯に、そのような時代がくるとは思えない。伸ちやん、君たちの時代だ。それも後半生の終わりごろからその傾向が顕著にあらわれてくるのじゃないかな」
 悠久に身を委(ゆだ)ねた予見者の顔は、厳しくもまた崇高だった。
 伸一は戸田の顔をみつめながら、あの雲海の世界の悠久さに身をおいていることを知った。
 そして戸田の言説は、行きつくところ、ことごとく彼への遺言のふうを帯び、彼の心身を引き締めた。
「わかりました。政治の分野についていえば、私たちがこんどのような支援活動を一生懸命にやったのは、私たちの土壌から識見、人格をそなえた真の革新的政治家を、なんとか育てたいという悲願からなんですね。そこで今回、その第一歩を踏み出した…‥」
「そうなんだ。しかし人びとは政界への進出の野心でもあるようにとるだろう。いつの時代でも世間というものは、そういうものなんだなあ。
  創価学会は、間違いなく宗教界の王者になるにちがいない。そのことによって、社会のあらゆる分野に、政治や経済や教育や文化の世界に、真に優れた人物を送り出すことができる。それが使命なのだ。それらの人たち、一人ひとりの偉大な人間革命が、新しい世紀における人類社会に偉大な貢献をすることになる。政体とか政権とかいったものは、大きくみれば、民衆の意思によって、その時代時代で変わっていくものだ。そんな移ろい易いものに眼を奪われ、民衆自身に光をあてなければ、この厄介な社会を寂光土化する広宣流布の仕事は決してできません。
 われわれの仕事は、今は世間は誤解こそすれ、誰ひとり理解しないだろう。それで結構、人目につかなくて結構。しかし、いずれは世間が瞠目(どうもく)する時が、きっと来る。その時になって、はじめて広宣流布という未聞の偉業を理解し、やっと賛嘆することになるのです」
 このとき、山本伸一は、「雲海の着想」の疑問が、壮大な未来の光輝に照らされていることを感じた。
 そして彼が焦眉(しょうび)の事態に邪魔されて考えていたことを知った。
「先生、今は当分、こんどのような支援活動を必要とする時代なのですね。究極の目標をしっかりみつめて眼をそらさず、着々とすすんでいけばそれでよいわけですね」
「それはそうだが、こんどの新しい展開は、余りにも教訓に充ち満ちている。結論を急ぐのはよそう。考えることが多すぎるのだよ。世間にどう映るか、それも考慮にいれなければならぬ。伸ちゃん、君もよく考えてくれたまえ。厄介なことだが、いろいろうるさくなるな……」
 このたびの選挙で、多くの違反者を出してしまったことに対して、戸田と伸一の苦痛は言語に絶した。そのほとんどが、戸別訪問容疑であった。
 真剣のあまりとはいえ、選挙法に対する無知とはいえ、国法を犯すことは社会人として許されない。その犠牲になった人、家族のことを思うにつけ、断腸の思いはつづいた。戸田は悲痛な思いで伸一に語りかけた。
「なんとか、弁護士とも相談して、最大の手を打ってくれたまえ。いま頼るのは君だよ。幹部も皆疲れ果てている。わしも疲れている……」
「わかりました。先生の苦衷(くちゅう)を思うにつけ、私は会員の激励に最大の努力をはらいます。ご安心ください」
 戸田の命は厳然としているようであったが、伸一は鋭くその疲れを察知したのである。勝った大阪の将である伸一には、まだ闘う余裕があった。
 このとき、会長室の扉があいた。戸田城聖と山本伸一との未来をかけた久方ぶりの師弟の対話は、ここで途切れた。





2018年12月05日