池田先生ご指導の学習(1)の補足

昭和30年前半頃の自民党による憲法9条改正の考え方は、国際的に認められている個別的自衛権の自国防衛の軍事力を持つことにありました。

1951年に行われたサンフランシスコ講和条約によって名目上、日本は独立国として誕生しましたが実質上はその時、陰で結ばれていた日米安保条約によってアメリカによる軍事支配を許してしまいました。

この軍事的支配を良しとしない考え方を持っていた自民党内派閥の鳩山一郎や石橋湛山(いしばしたんざん)等は、アメリカ一辺倒の外交ではなくソビエト連邦共和国や 中華人民共和国などの、近隣諸国との外交を結ぶ等距離外交を望んでいました。

それゆえ自国防衛のための軍事力が必要と考え、憲法9条第2項の武力放棄を削除し、国際的に認められている個別的自衛権の軍事力を持とうと考えていました。

この頃の日本周辺の国際関係は、朝鮮戦争が1953年(昭和28年)に休戦状態になったばかりであり、後の冷戦時代と言われるアメリカとソビエトの緊張が高まり始めた頃でした。

とても現在で言われている北朝鮮の脅威論や中国による脅威論など比べ物にならないほどの国際緊張の状態でした。

このような時代背景の中で、創価学会が憲法9条を守るために、魔性の権力と言われる政治との関わり合いを持たざるを得なかった戸田先生・池田先生の苦悩する姿を、重要視して読み直して読んで下さい。

そして、のちに公明党となる政治集団を創価学会が立ち上げた最大の要因は、憲法9条を守るためにあったことを確認して下さい。





2018年12月14日