そしてこの考えは、福田赳夫(ふくだたけお)内閣に提言されていました。
福田赳夫などの自民党右派勢力の政治理念は、普通の国のように、軍事力を外交の場で使いたいという岸信介の理念を受け継いており、シーレーン構想は、軍隊を国外へ出す事を禁じている憲法9条を亡きものにする足がかりになると考え、シーレーン1000海里防衛構想を実現すべく、与党内に働きかけました。
しかし、軍事力よりも経済力を高め国民を豊かにして、高い経済力の強い国家にするという理念をもった池田勇人(いけだはやと)の考えを引きついた田中派の抵抗と、国民が自衛隊を容認していない事も幸いして、実現には至りませんでした。
その後を引きついた大平正芳(おおひらまさよし)内閣は、田中派の後ろ盾で実現した内閣という事もあって、アメリカの要求をかわし続けていましたが、耐えきれず、日本に駐留するアメリカ軍の基地内で働く、日本人従業員の給与負担、という思いやり予算で、アメリカ側を納得させました。
しかし、1981年1月それまで公明党の党綱領としていた自衛隊の段階的縮小を捨て去り、事もあろうに党大会において、矢野絢也(やのじゅんや)(当時、書記長)は、野党第2党であるにもかかわらず、自衛隊を容認してしまったのです。
(次回へ)






