この頃の日本を訪れた宣教師フランシスコザビエルは、京の都を見て、本国(スペイン)へ「私達の目指しているユートピアが、東洋の外れに有った」という事を報告しています。報告の内容は「足利学校という学校が有り、ここに集う人々は生徒・教師あわせて一万人以上の人間が集まり、人柄は温厚で学問好きの人々であり、寺院は金で造られており私達が理想とするユートピアの世界がここに有った」という報告書を送っています。
この報告書で「黄金の国、日本」を紹介しています。
私は、日蓮大聖人様の竜口の法難の際、ずっとお供をしていた強情な信心の四条金吾がその後どうなったか気掛かりでした。何故なら日蓮大聖人様が、強信な信仰が子・孫8代までその功徳が続く、と言われていたからです。
医師であった四条金吾は、食材の魚を調理する際に、魚に直接手を触れないで小刀2刀を用いて調理するという技術をあみだし、近年まで皇族専用の調理師として「四条流」という流派で生き続けています。(人間の体温による魚への損傷(食中毒の予防)を避ける為の手法)
ひょんなことから私は1980年代頃、四条流家元の一人であるTさんと知り合う事が出来ました。そして彼の使用しているホテルのオフィスに招かれました。その時、Tさんが作ったという鯉の吸い物を御馳走になり、夢中で食した記憶があります。私は川魚の臭みが苦手で普段は食していませんが、川魚とはこんなにも美味しいものかと驚きました。そしてTさんに気になっていた鎌倉幕府崩壊後の四条金吾はどうなったのかについて尋ねたところ「武士は二師につかず」という格言を守り、日蓮大聖人様死後はどの僧侶にもつかず、自身の信仰を貫き通した、という話を伺いました。
(つづく)






