これまで教えられてきた折伏は、第四代会長北条と第五代会長秋谷の二代に渡る会長が作り上げた「組織信仰」という信心の形態となって現在まで生き続けています。しかし、この折伏の意味のとらえ方が誤っており、池田先生の「広布第二章」の前身を大きく妨げています。
私が先輩より聞いていた折伏は、読んで字の如く「古き考え方を折って伏せて、新しき考え方(日常の生活活動から得られるさとり)を、次の自分自身の行動の原動力にする」という考え方です。
*のっとり屋、原田達を創価学会から追い出すために(5)~(6)および創価学会の変貌(14)~(17)をお読み下さい。そして最後に創価学会の変貌(8)を必ずお読み下さい。
本来、入信させるという行いは僧侶がしてきた行いで修行のひとつです。かつては僧侶が托鉢(たくはつ)をしながら、お題目を唱え、仏の教えを未入信の人達に説法という形(三宝(仏・法・僧))で教え広めてきたものです。
創価学会の本来の折伏は、行動より生まれた新しき考え方「さとり」を次の行動の為の原動力にするという考え方です。この「行動より学ぶ」という考え方が日蓮仏法を信仰する上で大きな基盤となっています。
この考え方は、初代会長牧口常三郎先生の価値創造にあります。「人間が如何様にして、行動をともない価値を創造していくか」という考え方が基本になっています。
第二代会長戸田先生、第三代会長池田先生は、師匠の教え通りの折伏行をしてきましたが、第四代以降の会長は、組織信仰という誤った解釈の折伏を会員に押しつけ、池田先生を第三代会長から引きずり下ろし、広布第一章の「共生社会」を鳴らし終える操作をはばみ、新たに始まるはずであった広布第二章の前進を大きく歪め、誤った信仰心に皆様を導いているだけです。
このような組織信仰は一刻も早く止めて、広布第二章の鐘を鳴らしながら大きく歩みを前進させるべきだと私は訴えます。
この考え方は、宗教批判の原理の第一章「内外相対の原則」より始まっています。内外相対とは日蓮大聖人様おひとりの偉大なるさとりによって、外道の教えが(天照太神やキリスト教やイスラム教の教え)総崩れとなり、はかない教えになっています。そして池田先生が示された広布第二章は、宗教批判の原理第五章に入っているのです。
広布第二章とは「種脱相対」の日蓮大聖人様がまかれた種の一つ一つが大きく成長していく時なのです。種が一人の発心によって大きく成長していく時なのです。この考え方は第17回男子部総会の講義の中で池田先生は話されています。その中で最も大切なお話がありますので下記にその部分のみを抜粋しますのでよくお読み下さい。
ーーー第17回男子部総会の講義の末尾の中から一部を抜粋して掲載していますーーー
第三に『広宣流布といい、宗教革命といい、第三文明建設といい、また王仏冥合の実現といい、 全ては妙法を種として種としての壮大な実現である。折伏を等閑(とうかん)に付しては一切は無に帰する』ということであります。
我が日蓮正宗、創価学会の偉大な存在理由は、仏意によるものであります。折伏なくしては、存在の理由をたちまち失のうことは自明であります。
様々な多角的にして実態的な戦いの分野において世間の風におかされ、一身の虚栄や栄達に身をまかし、折伏精神を忘却(ぼうきゃく)するならば、一瞬にして仏の行(ぎょう)を凡夫の行にすり替えたことになってしまう。
それは獅子身中の虫となり、永遠の破滅を招くことになるでありましょう。
青年部諸君の未来に輝く栄光の人生は、とりもなおさず、折伏精神の実践こそが、すなわち、慈悲に満ちた仏の子としての信行学の実践のみが、もたらす事になると確信していただきたいんであります。その実践は、厳しくも、また暖かく、地についた実践でなければならない、と申し上げておきたいんであります。
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戸田先生、池田先生が教えていた「折伏」は新入会員を入会させる行いではありません。本来の折伏行は、私達が日常生活の中で行動をし、その中で得た新たな知識を採用する為に、以前の間違った知識を折り伏せるという意味合いに使われていたものです。この事は社会活動を実践行動して、新たな知識(さとり)を得る為の行動学の原理です。
折伏行とは、新たな知識の連鎖を繰り返す為の行動原理を説いたものです。諸法実相抄の最後にこの行動原理を明記している一節があります。宗教を実践するうえで最も大事な一節がありますのでそれを掲載します。
「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐謹言」
ここで行・学の二道が無ければ仏法はありえないという事を断言しています。行学の二道とは、行動した事によって学び得た知識を指しています。






