
1979年に池田先生は、創価学会最高指導部の人達に向かい「会長をやめるべきか」と問いただしましたが、それに対して当時は既に青年部最高幹部に帰り咲いていた、先生の最も信頼していた野崎勲氏が「時の流れですから」と発言し、池田先生を守ろうとはしませんでした。この言葉に池田先生はひどく落胆し、第三代会長を辞める決意につながった、と私は先生に近い方から聞いていました。
ここで大きな疑問が生まれます。
牧口先生には戸田先生。戸田先生には池田先生。と、日蓮大聖人様が説かれた人間生命尊厳の大仏法哲理拡大運動を引き継ぐ後継者が、なぜ創価学会最高指導部から育たなかったのでしょう。
通常、組織を円滑に運営する上では、組織を運営している最高指導者に人事権がなければ、最高指導者は組織上ただのお飾りに過ぎません。人事権を持たなければ、自分が意図する方向に組織を向かわせることができないからです。
しかし、創価学会第三代会長を辞めた1979年当時もそうでしたが近年でも、第六代会長になっている原田が会長に就任した事もご存知なかったかのような様子が、同時中継で流された事を私は記憶しています。
先生はご指導されている途中、近くにいた幹部に「秋谷君が居ないが、どうかしたの」と訪ねられ、幹部が「秋谷さんは会長を辞められ、現在は原田さんが会長になっています」と答えていました。
会長が変わったことすら知らなかったのです。
「まあ、それは人事部が決めた事だからね」と語り、同時中継を見ている学会員に、私には人事権はありませんよという事を訴えたかのような素振りでした。
では、なぜ池田先生は人事権を持てなかったのでしょう。 いや、持てなかったと言うよりも、持とうとしなかったのでしょう・・・。
第三代会長時代に先生は幾度となく「創価学会をドグマ化した組織にしては断じてなりません」と御指導されていましたが、この事は、これまで宗教が犯してきた同じ過ちを、創価学会で繰り返してはならない、という強い警告の含まれた御指導でした。
そして池田先生ご自身も、最高指導者に権力が集中することを嫌っていたのかもしれません。
それはとりもなおさず、これまでの宗教は、教祖や聖職者に権力が集中し、宗教を権威付けることによって、それに自分自身が毒され、本来であれば人々を幸せにする宗教が、逆に多くの不幸を生み出して来た歴史があるからです。
ですから創価学会内での権力を分散し、人間創価学会員を指導していく、人間創価学会会長としての立場をとり、人事は他の同志に任せ、御自身は同じ学会員として共に広布を歩もうとしたのでしょう。
池田先生のこの姿勢は、2009年に創価学会名誉会長として広布の第一線から降りられるまで、一貫して変わりがありませんでした。

あらゆる機会において先生は「創価学会は『会長が上で会員は下』などという考え方はありません。また、断じてそうなってはなりません。もし創価学会がそのような組織になった時には、創価学会はもはや邪教です。邪教そのものです」と、このように話し、御指導されておられました。
この姿勢は池田先生の賢明な判断と思いますが、しかしこのような先生のお気持ちを逆手にとり、池田先生を創価学会の象徴として称えながら、創価学会という組織を利用して、自己の利益を貪る利用信心の幹部が生まれてしまったのも確かです。
そして、この事が創価学会内に二つの流れを生み出してしまいました。
一つは、池田先生直結の御指導を聞いた信心の流れと、もう一つは、創価学会という組織を通しての信心指導の流れです。
この二つの流れは、時折創価学会内部で大きな誤差を生み出してしまったのです。
このことは既に1960年中頃には現われ始めていました。それは国立戒壇の意味付けと公明党支援の意味付けの違いです。そして後にこの事が誤解され、藤原弘達が騒ぎたてた言論出版問題が起きてしまったのです。
(続く)






