
このような内部指導が招いた過ちにより、外部の人たちに大きな誤解を産み出しました。
そして藤原弘達の著書「創価学会を斬る」の中での、王仏冥合の解釈を誤って捉えられ「王仏冥合は政治と宗教の一体化であり、日蓮正宗を日本国が国教として奨励するために公明党が存在している。このことは政教一致であり、創価学会は憲法違反を侵している」と激しく批判されてしまいました。
しかし私は、この問題が起こる以前の1960年代中頃に、広布のお役に立ちたいとの希望に満ちあふれ公明党に入党しましたが、公明党の党綱領に書かれていた王仏冥合の解釈は、私や廻りの男子部は全く別の意味で捉えていました。
宗門などで語られる宗教観は、罰や功徳がその主流となる考え方ですが、池田先生は立正安国論講義の中で、私たちの信じている宗教がどのようなものかを話され、「宗教とは文化の土台であり、人間性の土壌であり、宗教を信じない人はいない」と断言されていました。
このご指導から考えると、宗教を信じていないという代表的な考えには、唯物論を語る人達がいますが、彼らの主張である唯物論的思考や実存的思考で宗教を捉えると、宗教とは人間が創り上げた虚妄の存在であり、脳で感じる幻想を見ているにしかすぎない、という捉え方になります。
しかしその判断としている土台は、一般社会通念であり、一般社会道徳です。
そして弁証法的唯物論により資本論を立ち上げたカール・マルクスも、その考え方の土台としているのはキリスト教を土台としている一般社会通念や、一般社会道徳です。
そして私たち日本人の日々の暮らしの土台となっている道徳も、古代中国からの儒教の考え方が土台になっています。
その道徳{宗教}によって人間性が築かれ、文化が育ち、国家が成り立っているのです。
ですからその土台となっている宗教の理念が優れていれば、その上に立つ文化・文明・国家が安定します。

私たちが信じ信仰する宗教は、人間性尊重・生命尊厳・絶対平和主義を基本理念とする日蓮大聖人様の「王仏冥合」の理念に立つ宗教です。
人間性を変革する宗教であり、人間革命の宗教なのです。
他力本願の宗教ではなく、自力本願の宗教なのです。
南無妙法蓮華経を本尊として、自らの宿命を変革させていく宗教です。
ですから私は王仏冥合の「仏」は、その優れた宗教理念によって人間革命をする事と捉えています。
また「王」は文化であり文明であると理解しています。
日蓮大聖人様の仏法によってなされた人間革命を土台に、実社会「文化」に反映させる、という道理として私たちは理解していました。
そして公明党の存在もこの文化にあたります。
公明党が創価学会員に支援される絶対条件は、人間性尊重・生命尊厳・絶対平和主義の理念を政治に反映させなくてはなりません。
それが創価学会員にとっての公明党の存在意味そのものなのです。
そしてこの事は、池田先生が公明党に求めた強い要望であり、中道政治という政策理念なのです。
政治・政策の中心に、人間性尊重・生命尊厳・絶対平和主義の政策を政治に反映させ、人々の日々の生活を安定させ、戦争という国際緊張が起きない世界にするのが公明党の最大の役割なのです。
これが創価学会と公明党を結ぶ王仏冥合の理念、と捉えていました。
(続く)






