創価学会の変貌(12)


1960年代後半になると、池田先生とともに記念撮影をするという行事が全国で盛んに行われ、私の住んでいる県にも池田先生が来てくださるという事になり、撮影会の準備をする為に、私はそのメンバーの内の一人に選ばれました。

池田先生を迎えるにあたって、当時の私は若さもあり、生意気にも先生を観測的立場で観ていました。末端での先生のご指導とは、どの様なものか、強い興味でいっぱいでした。

卓上の論理と末端現場での論理があり、男子部幹部会などで指導する先生を素晴らしい指導者として尊敬はしていましたが、壇上での指導とは違い私たちの行う末端での現場指導は、一人一人との対話です。難しさがあります。

壇上でお話をされている時の一方的な指導とは違い、一人一人の個性と向き合います。こちらの一方的な話は通用しません。その都度違う難しさがあります。

ですから当初私は、先生はひな壇に集まる多くの同志の前で、形ばかりの指導をし、撮影が終わり次第すぐに帰られると予想していました。

通常、一般的な有力者との撮影会ではそのような流れをとるからです。

撮影会当日は、会場の入り口近くの一室に、ご来場の際の休息室が設けられ、池田先生が来てくださるのを待っていました。

しかし実際の池田先生の行動やご指導は、一期一会の言葉がそのまま当てはまる真剣な、善根のご指導そのものでした。

私自身、先生を観測的立場で観ていた事に深い反省をし、自分が余りにも小さな存在である事を実感した出来事でした。

当日撮影会に集った同志が、ひな壇に並ぶ準備をしている時です。

先生は会場に来られると、用意してあった休息室にも入らず直接会場に入って来られました。

会場に入った先生は、ひな壇にいた参加者に向かい「◯◯さん、お父さんはどうしていますか?お父さんは創価学会の草創期、共に闘った同志です。お元気ですか?」といきなり話しかけられると、次々と名前を呼ばれ対話が始まりました。

そして先生は、様々な質問や相談に確信の言葉で答えていました。

その中の一人の婦人が、結核をわずらい悩んでいるとの事で指導を求めると、先生はお数珠を取り出し、会場中に響き渡る重い声で「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。」と、婦人の背中にお数珠をあて、お題目を三遍唱え、「私は今、あなたの病気が治るようにと、真剣に、真剣に、ご本尊様にお題目を送りました。しかし病気を治すのはあなた自身です。あなた自身が病気を治しきるという、強い一念のお題目です。あなたの真剣な一念のお題目で治しきってゆくのです。私自身もお題目で治しきりました」とご指導され、指導を求めた婦人は感動のあまり、目に涙を浮かべていました。

そして同志との撮影が終わると先生は、会場内で行われていたイベントにも足を運ばれ参加者との堅い握手を交わされ、話しかけておられました。

先生の指導は、撮影会が始まる前から始まり、帰られるまで休みなく続けられました。まさに激闘の戦い方を先生自ら実戦し、私たち弟子に教えてくれた一日でした。


(続く) 










2018年05月10日