創価学会の変貌(11)


当ブログを訪れているみなさんには、宗教がどのような仕組みによって、長い年月を維持・運営されているのかをご存知でしょうか?。

おおよそ宗教であれば、教祖や聖職者が信者の上に立ち、神や仏などの、この世を支配する大きな力の代弁者となり信者を率いていく。そのような在り方が通常、宗教と呼ばれています。

この様な制度・仕組みが、上座部仏教制度と言われていますが、この制度はある意味では、宗教を形づくっている制度そのものと言っても過言ではありません。

宗教と言われるものには、必ず教祖や聖職者が存在します。

しかし、南無妙法蓮華経を本尊として信仰している私たちの創価学会には、教祖や聖職者は存在していません。あるのは3代にわたる会長を務めた先生(師弟関係の指導者)のみです。秋谷や原田は創価学会運営の事務方にしか過ぎません。

そして副会長や地方幹部においては、私たち会員が信仰していくためのアドバイザーであり、共生の同志的立場にしか過ぎません。

池田先生は兼ねてから「断じて創価学会をドグマ化(上座部仏教制度)した組織にしてはなりません」とご指導され、「本来、人々が幸せになる宗教が教祖や聖職者の愚かさにより人々を迷わせ、逆に多くの人々を不幸にしてきました。それが峻厳(しゅんげん)なる事実です。教祖や聖職者と言われる者が信者の上に立ち、自身を権威付け、そしてその権威によって自身が押しつぶされて、人々を不幸にしてしまう」と話されていました。

私は「峻厳とは非常に厳しい」との意味合いにとれますので、宗教とは「このような愚かな過ちに陥りやすい現実がある」と受け止めていました。

また池田先生は、男子部幹部会でのご指導の中で、壇上に座っていた利用信心をしたとする幹部を厳しく叱った後、創価学会第3代会長としての役目についても話され「会長とは、教祖や聖職者とは違い、人間(会長)が人間(会員)を指導し率いてゆくものであって、私はその重責によって気が変になってしまうのではないかと思うときがあります。創価学会第3代会長とは重い重責であり、責任があります。また、諸君達幹部の役割も同じです。会員の悩みを真剣に受け止め、共に信心で解決してゆく。皆さんにはそのような幹部になっていただきたい」と話されていました。


(続く)










2018年05月02日