創価学会の変貌(16)


人間とは、貧しければ貧しいなりの生活を我慢しながらでもしますが、裕福になるとその環境が当たり前になり、より以上の裕福さを求めるようになります。

大石寺・宗門関係の僧侶もご多分に漏れず同じだったのです。
私たちが邪教としている禅宗の教えの中には「足るを知る」という教えがあるそうですが、大石寺関係の僧侶はそれすらも持ち合わせておらず、創価学会会館が全国に整備し始めると、宗門関係の一部の僧侶の中からは、池田先生に対する不満の声が漏れ始めました。「池田会長は日蓮正宗信徒であるのにも関わらず僧侶を指導したり、信者をお寺から遠ざけるために創価学会会館の整備を進めている」との不満の声を上げ始めたのです。

丁度まさに、このような声が上がり始めた時の1975年(昭和50年)に、私はK僧侶からあの驚くべき話を聞かされました。

公明党最上級幹部が、宗門側に池田先生を会長職から降ろしてしまおうという呼びかけをしたという話です。

この年、公明党最上級幹部が大石寺に赴き、池田先生に不満を持っている上級僧侶10人程を集め、池田会長降ろしの為の講義をしたと言うのです。

その話の内容とは、『軒先貸して母屋を取られる』のことわざを用いて、池田会長は大石寺の乗っ取りをもくろみ、大石寺が本門の大御本尊としている板御本尊をアメリカに移し、そこを本山とする計画を立てており、このまま池田に会長をやらせておくと大石寺はいずれ乗っ取られてしまい、日蓮正宗の本山も無くなってしまう、と大石寺の危機感をあおり、腹黒い池田、悪党の池田であることを言葉巧みに説明したと言うのです。

このような馬鹿げた話を信じた僧侶も僧侶ですが、こんな話を信じこませる公明党最上級幹部はよほど言葉が巧みだったのか、それとも僧侶の悪しき欲望が後押しをしたのか?。

翌年の1976年(昭和51年)には宗門僧侶による池田会長降ろしの全国大会が開かれたのです。
池田降ろしの声は、当初はさほどその盛り上がりを見せていませんでしたが、さらに一年も経つと、よほど先生に対する不満をもつものが多かったのか、大きな声となり始めたのです。

このような宗門僧侶による愚劣な声は、現在の創価学会員であればわけなく跳ね返すことができたのでしょうが、1970年代の創価学会員の多くは、大石寺が護持している本物の本尊とされる板御本尊でなければ個人の宿命転換もできず、功徳も得られない。と考えていたのです。

この考え方に陥っていたその要因は、1955年(昭和30年)の小樽問答にありました。
それは創価学会+日蓮正宗Vs日蓮宗身延派が、どちらが日蓮大聖人の教えを広める正統な流れであるかを論戦するものです。当時青年室長であった池田先生が司会となり、この法戦によって日蓮正宗の護持している板御本尊が、日蓮大聖人様が表された本尊であることを立証し大勝利した。とされていたからです。

事実、大石寺の護持している大御本尊様でなければ成仏は出来ないと信じ切っていたために、私の男子部時代の先輩であった幾人かの人達は、宗門側の呼びかけに応じて創価学会をやめて法華講になった人達がいました。

このような状況を池田先生はご心配なされ、「教学の年」とのスローガンを2年に渡って実行されました。

それまでの創価学会の伝統では、「黎明の年」や「建設の年」などの「◯◯の年」というスローガンは一年完結のスローガンでしたが、池田先生が創価学会第三代会長を辞められる前の1977年からの2年間は、重点的に1つの御書を池田先生自らご講義なされました。


(続く)










2018年08月13日