
副題「折伏と御本尊」
創価学会第3代会長、池田先生の指導の元で育った学生部や男女青年部の活動家(1960~70年代頃)と、現在の秋谷・原田体制の組織信仰の中で育った活動家と呼ばれる人達の「折伏」や「御本尊」の解釈が最近微妙に違うように感じています。
私は1954年に母に連れられて、創価学会に入会しました。しかし、宗教というものにはまるで興味がなく、学生の時には発行されて間もない、月数回発行程度の聖教新聞の配達を、母親に言われるがままにするぐらいで、実質的に創価学会に興味を持ち始めたのは、元新聞記者だったMさんとの出会いからでした。
私の住む地域でのMさんの人望は厚く、ご自身の自営の仕事の合間を見つけては、公明党地方議員の議員活動の助言をしているような人でした。
当時の公明党は、多くの地方議員を議会へ送り出していましたが、送り出された彼らは、地方議員になったものの実際にどのような活動をしてよいものか分からず悩んでいました。
そのような人達が円滑に地方議会の活動が出来るようにとMさんは、勉強会を開いては様々な助言をしていました。
また座談会や御書学習会では、実際に起きている社会問題や、集まった同志が抱えている様々な悩みや疑問等を、若い私にも興味が沸くように分かり易く、御書を通して話してくれました。そんなMさんとの出会いがきっかけで、私は男子部の活動をするようになったのです。
活動に乗り始めてまもなく50人程の男子部員を託されましたが、会合の連絡や連れ出しに伺ってもほぼ会う事さえできず、ようやく会うことができたとしても「もう連絡には来ないでくれ、うるさくて仕方がない」と拒否されてしまい、全く相手にされませんでした。

当時も現在もほとんど変わりはないと思いますが、15~30才ぐらいの青年であれば、宗教の持っている「功徳や罰」などのとらえ方には興味を示さず、「仏や神に祈るのは、おじいちゃん・おばあちゃんになってからする事で、手を合わせて祈るのは、お正月などの年に数回すれば良いこと」と捉えていました。
そのような内部組織活動に行き詰まりを感じた私は、どのようにして担当した部員さんを活動家として目覚めさせるべきかをMさんに相談すると「君、折伏だよ。折伏をしっかりして、確実に御本尊を護持させることだよ」との答えでした。
私が母親から聞いていた「折伏」という言葉は、外部の人を創価学会に入信させるための勧誘のことと思っていましたので、相談内容が正確に伝わらなかったと思って「いえ、外部の人にではなく、私が担当した部員さんについての悩みです。ご本尊様を護持しているにもかかわらず全く創価学会の活動に興味を示さない人達のことです」と質問をし直しました。
すると「君は先輩からこれまで『内部折伏』について聞いたことはないのかね。婦人部や壮年部で言われている折伏は、創価学会への勧誘の段階で終わってしまっているが、男子部の伝統は本来の、読んで字の如しの『折伏』だよ。」と言われ、更に「私たちが信仰している創価学会は、そこら辺にある他力本願のオガミヤ宗教ではなく、自分自身を変えていくための自力本願の宗教だよ。お題目を唱える事によって、それぞれの人間を内面から変革の力を与え、救済していくものであり、『汝自身の当体が無上の宝珠(ほうじゅ)たる御本尊そのものである』と自覚させる事が本当の折伏だよ」
(続く)






