
実際に戦場へ送られた兵士に最も求められるものは、自らが生き抜くために理性を捨て去り、非情になりきるという精神状態を保つことです。
この人間性を持たない、「非情」という精神の維持の必要性を説明するために、歴史的実例として取り上げられるのは、アメリカ建国時代の先住民インディアンとの戦いで全滅した、第七騎兵隊があげられます。
カスター率いる第七騎兵隊は、インディアン殲滅(せんめつ)のために編制された部隊であり、兵士としてのそれなりの訓練を受けていた部隊です。ましてや先制攻撃が有利とされる戦いにおいて、先に攻撃を仕掛けた第七騎兵隊が全滅という結果です。
一般的批評には、カスターが無能な指揮官だったゆえに生じた結果という事になっていますが、軍事を勉強する者にとっては兵士による殺傷効率を元に考えます。
その基本となる情報は、兵士による銃の発砲数と敵であるインディアンの死者数で判断します。

第七騎兵隊側の兵士の約三割近くの兵士が、銃を発砲していないという事実が判明されています。この事は第七騎兵隊には移民まもない人達が多数編入されていた事がその大きな要因になっていましたが、この兵士たちにとっては、訓練の時には銃で的を撃つ事が出来ても、実際の戦場では通常生活での理性を持っているがために、生きている人間を撃つ事が出来なかったのです。そしてその結果、戦死という道を歩んでしまったのです。まさに理性を持っていたがために自らを死に追いやってしまった実例なのです。
そして、この事と似た実例を、私は父の日中戦争の戦争体験から聞いていました。
父の所属する部隊は、中国の大湖周辺を軍事展開する部隊でしたが、昭和18年頃になると、補充の新兵は年長者になり、30歳を越えた年齢の者も補充されるようになったそうです。
この年齢になると、通常の社会生活での理性が完成されており、殺戮を繰り返す戦場では、兵士としては使いものにはなりません。
そこで当時、まず最初に新兵に行われた訓練は、実際に人を殺傷するというものです。
便衣兵(テロリストまたはゲリラ)として捉えてきた人間を木に縛り付け、その人間を新兵に銃剣で突き殺させ、殺戮に慣れさせるというものです。しかし新兵の中で一人だけ隊長に殴る蹴るの制裁を受けたにも関わらず、命令を実行できない為に営倉(懲罰房)送りとなり、手痛い制裁を受けた新兵がいました。
その後のことです。父の所属する小隊が移動中に便衣兵の奇襲を受けましたが、当初は日本軍が優位にたち、敵の便衣兵を追い詰め殲滅まもなくと思われた時、あの殺傷をする事ができなかった新兵が、持っていた銃をかなぐり捨て、敵に向かって自殺の突進をしてしまったというのです。この新兵の自殺行為が日本軍の弱体を露呈させ、敵に反転攻撃の機会を与えてしまい、父が所属していた小隊は窮地に立たされ、応援要請の為の伝令として父はその場を離れ、応援部隊と共に舞い戻った時には、小隊長以下全員が戦死をしていたというのです。
この事もまさに、たった一人の理性を捨てきれない兵士のために小隊全員が戦死という結果を招いています。実際の戦場においての理性は、自己の死を意味するのです。
また、戦場においての非情は、自己を守るための精神ですが、この状態が長く続くことによって、通常では考えられない残虐性を生み出します。
(続く)






