
副題 「日本国民を無知にする為に」
独立国家というのはマスメディアの管理を重要視しています。主権を持った国家であれば、外国資本(報道への影響力)による国民の誘導を警戒し、そして阻止をします。
敗戦後に日本が独立する際、報道に対する外国資本家の株式保有率割合を、当時としては国際的な常識的基準の上限となっていた、10%にするように日本政府に認めさせ、その制度が長らく続きました。
当初は、アメリカ傀儡(かいらい)のY新聞と裏組織を服従させ、利用することによって、この保有率で日本国民をコントロールすることが可能だと考えていたようです。
CIAが本国に送った30年公文書公開の内容でも分かるように「正力松太郎は、我々の求める要求を受け入れ、良い仕事をしている」との報告書を送っています。
ですが戦後の日本は、アメリカによる自由主義思想の影響力によって、自由に意見が言える環境が出来上がり、マスコミの活動は活発化し始め、歴史を踏まえた論理的な報道や、様々な人々の意見を取り入れ、総合的に判断して報道をする等の形態が生まれ始めました。当時の報道の中心的な存在となっていたのは大宅壮一(おおや そういち)という人でした。
1960年代頃、私は元朝日新聞記者のMさんの影響を強く受けて、創価学会の宗教や政治の重要性に目覚め、公明党員になりました。Mさんは私に男子部伝統の「折伏」を学ばさせる為に、御書の一節を通して基礎的な訓練の「学び・考え・語り・行動する」事が出来るように、大手各紙の新聞を読んで、その感想を求めました。
その中で掲載されていた論評の中に、大宅壮一という人がたびたび出てくるので、その人はどのような人であるかをMさんに尋ねたところ、
「大宅壮一さんは、報道人として事実や現状を伝えるのみではなく、その事項に関係する内容の書かれた書籍や雑誌、そして蓄積された歴史的データを元に、自分自身の中立的な主観で論評をするという、報道人としての基本的な形態を確立した人であり、そのために集めた書籍は『大宅文庫』と言われるくらい膨大になっていることでも知られてる人です。また多くのマスコミ人を育て、分からない事があったら大宅壮一さんに意見を伺うか、大宅文庫を利用させて頂くというのが時の流れになっています」という説明でした。
他宗の僧侶でしたが、ラジオ番組のパーソナリティ等で活躍していた永 六輔(えい ろくすけ)さんは大宅壮一が育てたマスコミ人の1人としてよく知られていました。そしてその後、永六輔さんのラジオ番組に出ていた久米宏さんは、永六輔さんの影響力を受け、後にテレビ朝日のニュースステーションのキャスターとして政権を辛口に批評したり、わかりにくい政治を様々な小道具を用いて視聴者を楽しませ、お茶の間に政治を浸透させた人気の報道人です。
政治的関心を持たせず、国民を無知にし、日本をコントロールしようとする者にとっては実に、邪魔になるような報道関係者が次々と育っていました。
アメリカの一部の権力者によって日本の政治をコントロールしている事を、日本国民に気付かせないために、日本国独立前のGHQ(占領軍)支配下においては、武力の力によって報道を規制していました。
Mさんに聞いていた話ですが、朝鮮戦争が勃発した当時、吉田内閣に対してアメリカは、旧日本軍の参戦を強要していました。しかし吉田茂は「日本には憲法9条があるために、軍を編成することが出来ない」とその要求を断っていましたが、最終的には断りきれず、秘密裏に旧日本海軍の一部を編成し(後にこの組織が海上保安庁の漸進となったものです)海中に仕掛けられた機雷などを撤去するために朝鮮戦争に参戦させ、戦死者を出していました。そしてこの事実を日本国民に知られないようにするために、報道各紙はもちろんのこと、記者自身が単独で報道することも出来ないような強力な報道規制を行ったそうです。このことが、後の日本の報道が、「アメリカにとって不都合な内容の軍事行動には触れない」という流れが生まれたのではないかと私は思っています。
(続く)






