
最近ネット上では、
秋谷・原田が創価学会の中で権力を手にすることが出来たのは、彼らに騙され続けていた池田先生が「お人好しだったから」
と評して自分自身を満足させ、傍観者の立場で論評をして満足する人たちが出ていますが、戦後の日本社会の現状が、これほど悪化している時代になってしまったにもかかわらず、彼らはそれを打ち破る行動をとるものでもなく、「師弟不二」を気取り、ただ論評して満足しているとは、なんと情けないことか。

この人たちは池田先生の指導者としての苦悩を、全く理解していない人たちではないか。
牧口先生、戸田先生、池田先生と、三代にわたって学び教え広めてきた創価学会の根本理念を、全く理解していない人達としか思わざるを得ない。
邪宗と言われる他の宗教団体と、同じ様な低い次元でしか物事を捉える事しか出来ないのか?
この人たちは、とても師弟不二を名乗る資格など無い!と、私には思わざるを得ません。
元来、私たち創価学会員が邪宗と呼んでいる宗教は、教祖または聖職者が教団の中で絶大な権力を握り、信者を統理(意図する方向に統制)していく宗教組織であり、信者はそれに盲目的につき従うだけの宗教です。
しかし創価学会は、設立当初より「同心円の組織」である事は、池田先生のご指導を通して私たち創価学会員が学び広めてきたことです。
池田先生が「お人好しだったから」と評価している人たちの判断基準は、
秋谷・原田一派の裏切りの爪隠しに気付かず、騙され続け、除名することが出来なかった。
と判断しているのでしょうが、この見方はあまりにも単純な一元的思考としか言わざるを得ません。
創価学会の歴史は、初代会長の牧口先生の時より、内部的な裏切りは始まっています。
時の軍部の圧力によって牧口先生が投獄されたとき、牧口先生と共に行動したのは戸田先生のみです。他の人々は軍部の圧力を恐れ離散しています。
また、第二代会長の戸田先生が事業に失敗したとき、先生の周りにいた人たちが師匠をさげすみ、創価学会を去っています。
そして、僧俗和合であるべき宗門が、第三代会長池田先生の、会長追い落としを迫った昭和54年(1979年)の時も同様に、池田先生の周りにいた最高幹部は、自己の保身に動き、池田先生を守ることなく裏切り、三代にわたって築いてきた崇高な宗教理念をかなぐり捨て、宗門の低俗な葬式仏教に隷属しています。
このような歴史を経ている創価学会であるにも関わらず、池田先生が、秋谷・原田一派の裏切りの爪隠しに気付かず、騙され続けたなどと言う事はあり得ない話です。
事実、2005年の初頭、いつも池田先生のお近くにいる(自称)と言う方に、
昭和54年、池田先生の第3代会長の辞任問題は、公明党のトップが、昭和50年に宗門に呼びかけた「池田おろし」から始まっている。
ことを告げると、彼は
「池田先生はすべてをご存知です」
と言いきりましたが、彼の話の節々から、先生がお悩みになってる様子を私はうかがい知ることが出来ました。
池田先生が、ピラミッド型組織の最高指導者として振る舞い、秋谷・原田一派を創価学会から除名することなどは、たやすく出来る事でしょうが、そのような行動を池田先生自らしてしまっては、創価学会を自ら邪教にしてしまうことになります。
池田先生が権力を振り回すことなど、絶対に出来ない事です。
秋谷・原田一派の悪鬼どもは、池田先生のこの立場を見透かして、善の組織を崩壊させ、会員の前で偽りの師弟不二を振る舞っていたのです。彼らに騙されていたのは、私たち会員なのです。
この様に悪鬼にまみれて異体異心になった彼らを、排斥・除名出来るのは「師弟不二」を志す私たち善の弟子にしか許されません。
決して師匠に求めるべき事ではないのです。
池田先生のご指導の中で、関連すると思われる指導を2点ほど下記に掲載します。
◇池田先生のご指導◇
①「創価学会は、会長が上で会員は下などという考え方はありません。また、断じてそうなってはなりません。もし創価学会がそのような組織になった時には、創価学会はもはや邪教です。邪教そのものです」
②「本来、人々が幸せになる宗教が、教祖や聖職者の愚かさにより、人々を迷わせ、逆に多くの人々を不幸にしてきました。それが峻厳(しゅんげん)なる事実です。教祖や聖職者といわれるものが信者の上に立ち、自身を権威付け、そしてその権威によって、自身が押しつぶされて、人々を不幸にしてしまう」
(続く)






