
副題「責任ある人達の言葉を、疑ってみてください」
現在は様々な情報が、私たちの前を洪水のように流れていきます。しかし今の日本では、もっとも必要とされる肝心な情報が流れて来ません。
大手マスメディアから流れてくる情報は画一化され、どの報道番組や紙面を見ても同じような内容で統一されています。ひとつの情報から得られる論評は、百人百様と言われるように様々に変化するのが当然のことですが、何故かほとんど変わりがありません。よくぞ同じような価値観や思考の人々が寄り合ったものと、私は感心している昨今です。何故なのでしょうか?
今回の新型コロナウイルスに限って考えてみます。
ワクチンなどの予防や治療の方法が確立されていない感染症の、最も基本となる防疫は「検査と隔離と消毒を初期の段階で徹底して行い、感染拡大を出来る限り防ぐことが、政治と行政の責務」です。
マスメディアから流れてくる情報が、正しいか間違っているかの判断は、この基本的なことを念頭に入れて判断するべきである。と私は思っています。
まずは、2月下旬より現在に至るまで、専門家と言われる人たちが論じていたのは「PCR検査を広範に行う事によって医療崩壊が起きてしまいます。皆さんはPCR検査を広範におこなって医療崩壊が起きてしまってもよいのですか」というような内容の事でした。
この考え方は、防疫の基本から捉えれば、本末転倒の考え方になります。
この論調を別な言葉に変えれば、「もうすでに新型コロナウイルス感染者が全国に広がっているために、PCR検査を広範に行う事によって一気に患者数が増えてしまい、医療崩壊を起こしてしまいます。ですから感染者は見つけない方が良いのです」となります。

これは、感染予防の基本から捉えれば、真逆の感染を拡大してしまう考え方ですが、専門家と言われる人たちが堂々と語ることによって、まかり通ってしまい異論を訴える人たちがいませんでした。
本当に摩訶不思議な現象です。
通常、専門家と言われる人たちは、感染者を増やさないことが第一の責務であるにもかかわらずです。
しかし、この単純な誤魔化しの論調も長くはもたず、最近では「おかしくない?」と考える人たちが増えてきている為なのか、7月の中頃より別の論調が出始めています。
厚生労働省がPCR検査を積極的に行わない理由は「ハンセン病患者の訴訟に、国側である厚生労働省が裁判で負けたことがトラウマになっているためだ」という論調です。
「PCR検査を多くの人に行うことによって、必ず検査エラーが起きてしまう。本来は陰性である人に対して、陽性という間違った判断を下してしまえば、人権にかかわる問題になり、訴訟を起こされたらハンセン病患者の訴訟と同じく、必ず負けてしまう。ですから厚生労働省はPCR検査を積極的に行いたくない」
と言うのです。なんとも国民をバカにした論調をはじめたものですが、これもまた堂々とまかり通り始めています。
そもそも今回の新型コロナウイルス検査の誤診問題とハンセン病訴訟問題とは次元が全く違います。
訴訟の問題となったハンセン病患者の隔離は、隔離の法律を決めた当時はまだ治療方法が見つかっておらず、一度感染してしまえば「生涯治らない」と恐れられた病気ですので、当時としては隔離が妥当な考え方でしたが、後に治療方法が確立されたにもかかわらず、個人の人権を無視して、隔離の政策を続けたことが、訴訟の要因になっています。
予防や治療方法が確立されていない現在進行形の新型コロナウイルスPCR検査問題とは、全く次元の違う別物です。
しかし、またもやこのおかしな論調が正当性を持ち始めています。
まるで多くの国民が、情報を受け身で受け止めるだけで、何も深く考えることはしないかのような現象が起きているのではないでしょうか?
池田先生は、今から50年前の1970年の第33回本部総会で、今日の21世紀を展望なされ、「社会のあらゆる分野に、色心不二の大哲理を根底とする第三文明の華を咲かせない限り、来るべき二十一世紀は決して明るいものとならない」と喝破なされ、「情報の洪水は、個人を絶えまない情報の波で洗うことによって、一つのことを深く考えるいとまもなく、絶えず新しいニュースを追って、ただ受け取るだけの受け身の存在になってしまい、その思考と感情をマヒさせていくことでありましょう」と予見されていました。
*この事は「池田先生ご指導の学習(6)の◆コンピュータに明確な規制措置を」から書かれていますのでお読み下さい。
(続く)






