「国会」はこの公法や私法を制定する機関であり「警察」は法律に従って社会を取り締まる行政機関の一部であり「司法」は法律をもとに判定を下す機関の一部です。
このような私たち国民を拘束する機関を、一部の権力者に握られない為に、権力を三つに分散し互いにバランスを保っていく制度が「三権分立」という制度です。
ここまでは義務教育の段階で国民の皆さんが学習している事ですが、私たちを拘束する3つに分散された強大な権力を持った者達を取り締まる「日本国憲法」は充分には学んでいないのが現状です。
そこで今回この日本国憲法が誰を拘束する法律なのかを確認してみます。
憲法第九九条には、この憲法をだれが守らなければならないかの責務が明記されています。「憲法尊重擁護の義務」です。
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第九九条【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
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ここで記されているように、この憲法を守るのは、公務に携わる公人であり、天皇陛下はもちろんのこと、国会議員や裁判官、地方公務員に至るまで、公務に関わる者がすべてこの憲法を守らなければならない責務があることを謳っています。
そしてこの責務を負わせるために、権力を3つに分散し、互いに競わせ、監視し合う制度の三権分立を設けているのです。
しかしこの制度も、権力同士が監視しあうシステムであり、いつ国民との約束を破り、私たち国民にその牙を向けてくるかわかりません。
そのために憲法一二条では、国民自らがこの憲法を、権力から守ることを普段から努力し、守りぬいていかなければならない事を次の文面で記されています。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」という文です。
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第一二条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
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このように私たち国民の「生命や財産」を権力機関の横暴から守ってくれている日本国憲法は、私たち国民自らが、権力を監視しつづける不断の努力によって憲法が守られるという事が明記されています。
ですがよく現状を見てみてください。あなたの周りにいる人は、この憲法が私たちを守ってくれている日本で最高の法律である事を、認識している方がどれほどいるでしょうか?
また、この憲法を絶対守らなければならないと普段の生活の中で少しでも思っている方がどれほどいるでしょうか?
現状を私なりに判断すると、ほぼ皆無ではないかとさえ思えるのです。
これまでに様々な憲法違反を犯している与党の自民・公明はもちろんのこと、日本維新の会や希望の党など、国民は選挙によってこれらの政党を罰することなく、あいも変わらず支援し続けています。(憲法違反をした公人を国民が罰することが出来るのは選挙でしか出来ません)
また先月には、政府与党から「緊急事態法に罰則をもうけ、日本国憲法に明記すべき」と日本国憲法改正を公言している国会議員がいますが、マスコミも国民も、このような議員に対して強い批判は起こしていません。
「権力から国民を守る為に制定された日本国憲法」を、国民に罰を与える公法や私法と同等に格下げをして、権力に掛けた首輪(日本国憲法)をはずし、横暴な権力が振る舞えるような憲法にしてしまおうと公言している議員に対して、何の批判も与えていないのです。
そして今国会で、権力側が憲法改正をし易くする「国民投票法改正案」を、日本国憲法を守ろうとする「共産党」の反対をよそに、立憲民主党も加わり、この悪法を成立させてしまいました。
この改正案の最大の問題点は、立憲民主党が妥協した「広告規制」ではなく、通常の国政選挙と同じルールを用いてる点にあります。それは最低投票率を明記しない事にあります。
たとえば100人の有権者がいるとします。この選挙にはあまり関心が無く、投票率が低く、実質的な投票率が30%だとします。法律を成立させるためには、その半数以上の票を獲得できれば法律は成立してしまいます。半数のわずか16人の意思で100人の運命を決める法律が決められてしまいます。
つまり、国民に「憲法」に対する意識が薄く、投票率が低ければ低いほど、憲法を改正されてしまう恐れがあるのです。ですから、実質的な投票率を上限に設定しなければ、憲法改正を阻止するハードルを下げてしまう事になります。
それを知りながら、この立憲民主党のとった行為は、絶対に許すことのできない政治的行動であり、「私たち国民を裏切った」行動です。
(続く)






