今回のウクライナ戦争を引き起こした最大悪は、NATO加盟各国と一部の国連加盟国(日本を含む)の無責任です。その根拠となるのは次の理由であると考えています。
ウクライナは、建国と同時にウクライナ人とソビエト時代に入植したロシア系ウクライナ人がいますが、両者には解決するには困難な民族問題が内在しています。その事を知りながらNATO等は、2014年にウクライナ人(ロシア系ウクライナ人を除く)のみで行われた国政選挙を「正当な選挙」として認めている事にあります。
このような不当な選挙を多くの国々が「正当な選挙」として認めてしまえば、建国当初より存在する民族問題をより激化させてしまう、という事は当然分かっていたはずですが認めています。
そして、この選挙によって選ばれたペトロ・ポロシェンコ大統領は、就任早々ロシア系ウクライナ人を排斥(はいせき)するべく、建国より定められていた公用語(ロシア語とウクライナ語の双方を使える)の法律を、一方的にロシア語を使う事を禁じた法律に成立させる政治行動に出ています。
そして、ペトロ・ポロシェンコ大統領と同じネオナチと呼ばれる考え方を持つ過激な軍事組織が、ロシア系ウクライナ人が多く住む東部のドンバス地域へ進軍し、ウクライナ語を話せない女性や子供に狙いを定めて残虐な殺戮を行い続け、ロシア軍が救援に向かうまでに約一万数千人以上を殺戮しています。(まやかし(10)を参照してください)。一方、ロシアの軍事的力を借りて、2014年にクリミアはウクライナより独立する事が出来ましたが、この独立をアメリカを中軸とするNATO各国や国連加盟国の一部は、ロシアの強制的な軍事力によってクリミアを独立させたとロシアを批判しています。しかし事実は、この独立以前よりクリミア地域の人々はロシア領に復帰する事を希望していました。何故ならこの地域はウクライナの建国時、ソビエト時代の行政管理区域線をそのまま国境線とした為にウクライナ領となってしまいましたが、元々ソビエト建国以前はロシア領であった地域であり、ロシア人が主として多く暮らしていたので、ロシア領に戻ることを強く望む人が多くいました。その為に当初からロシア領に復帰する事をクリミア議会で可決していました。その後ロシア系ウクライナ人を強く憎むネオナチと呼ばれるペトロ・ポロシェンコ大統領の誕生によって危険を感じ懸案を急ぎ、2014年にロシアの軍事的力を借りてロシア領として独立しています。
この時のウクライナ問題への日本外務省の対応は実にひどいもので、外事の事実を正確に報告しなければならない官僚が、真実を隠蔽し「ウクライナのドンバス地域では、ジェノサイドなどの残虐行為はなかった」と日本政府に報告して、国政の判断を誤らせています。また日本の大手マスコミは、東部での残虐なジェノサイドがあった事を知りながらこれを報道せず「ウクライナ南部のクリミアが、ロシアの軍事介入による不当な独立をさせられた」という批判だけの報道で、実際に行われた事実を一切報じる事はありませんでした。本当にひどい報道姿勢です。
この時、フランスとドイツ両国は、ウクライナの内戦拡大を恐れて双方民族の仲介に入り、「ミンスク合意」という、武力ではなく話し合いによって両民族の問題を解決するように承認させています。
私自身の個人的な見方としては、このミンスク合意は、ロシアのプーチン大統領に平和的解決に向けての大きな期待感を持たせたのではないかと思っています(プーチンがウクライナの歩んだ悲惨な歴史を熟知していた為)。そうでなければミンスク合意から8年という永き年月を、ジェノサイド被害を受けた東部のロシア系ウクライナ人の強い憎しみや、報道によってロシア国内からも起こるであろう、ウクライナ政府に向けた敵対意識を、自身の持っている強い権力によって押さえ続ける事はしなかったでしょう。そしてプーチンは、ミンスク合意当初(2014年)からずっと、合意を守らずに東部への軍事攻撃を続けていたウクライナ政府に対して、「ミンスク合意を守り、話し合いによる解決」を求め続けていました。
(注)ウクライナが歩んだ悲惨な歴史(簡単な説明)
ソビエトの暗国時代と言われた、スターリンによる粛清政治の中心的攻撃対象地域となったウクライナ地方ですが、ウクライナ人だけでも数百万人の悲惨な粛清による犠牲者を出しています。その後スターリンは、耕作人口の少なくなったこの地域に、自分の指示に従うロシア人達を入植させています。しかしその様な状況の中で、スターリンの国政に逆らい、ソビエトへ進軍してきたナチスドイツと手を結ぶ為に、隣国のポーランド人だけでも百万人以上の殺戮を行いながらも必至に生き抜いたウクライナ人達がいましたが、それが現在ネオナチと呼ばれている人達の流れです。
(続く)






